浦安の自然・歴史・文化を紹介するミュージアムとして、2001年にオープンした浦安市郷土博物館。海とともにくらした時代を、歴史・民俗資料、情景再現などで紹介し、充実の屋外展示も含めて人気を集めてきました。
このたび、テーマ展示室「海とともに」がリニューアルオープン。海浜都市として躍進してきた浦安のまちづくりの展示が、新たに加わりました。
浦安市郷土博物館 外観
テーマ展示室は4章構成で「浦安の原風景」から始まります。かつて海岸線の堤防は、現在の浦安市役所庁舎の真下にあり、市役所から先は海でした。
このエリアでは映像と、昭和30年代に録音された音で、まさに当時の浦安の原風景を感じることができます。
「浦安の原風景」エリア
続いて「漁師町 浦安」。浦安には、平安時代の終わりから鎌倉時代の初めころには集落が存在したと考えられています。
江戸時代には、魚介類の供給地として発展しました。魚介類の生産地としてだけでなく、東京湾内の水産物が集まる流通基地でもあり、問屋業、卸売業、輸送業、加工業なども発達していきました。
「漁師町 浦安」エリア
浦安は、江戸川の河口で自然発生するアサリやハマグリの稚貝の供給地でもありました。
各地に出荷された稚貝は、成長すると再び浦安に集められ、貝類加工業者(むきみ屋)が東京に出荷。東京の魚市場では「貝の相場は浦安で決まる」といわれるほどでした。
手前は、貝をはかる樽「一斗樽(ケンチダル)」
続いて「新しい町 浦安」。1949年のキティ台風で大きな被害を受けた浦安。さらに1958年には工場排水による黒い水事件と試練が続きます。
漁獲量は年々減少し、将来に対する不安も増すなか、浦安は漁業権を放棄して海面を埋め立てるという大きな決断に至りました。
「新しい町 浦安」エリア
浦安の埋め立て事業は、土地の造成や漁業補償などの費用を進出する企業に予納させ、その資金で開発するという「千葉方式」と呼ばれる方法で、千葉県によって実施されました。
1962年、千葉県は株式会社オリエンタルランドと協定を締結。海底の土砂を吸い上げて、埋め立てが進みました。
埋め立て工法の模型
1969年の東西線開通で浦安駅が誕生。住宅地としての開発も進み、浦安は発展していきます。
1965年には18,126人だった浦安の人口は、1979年に5万人を突破し、1981年の市制施行時には65,662人となり、2020年には169,918人にまで増加しました。
住宅の分譲案内
最後のエリアは「浦安の自然」。埋め立て地の浦安ですが「緑あふれる海浜都市」を目指して開発されたこともあり、街路樹や植栽の樹木などが大きく成長。これらの樹木は、野鳥の住みかとしての役割も果たしています。
このエリアでは、大きな水槽で、浦安の目の前の海で生息する魚も展示。泳ぐ姿も楽しめます。
「浦安の自然」エリア
江戸川の河口として、かつては広大な干潟があった浦安。干潟は栄養が豊富な半面、環境の変化が激しい場所でもあります。
殻がついたり穴に生息したりと、多様な生態をもった干潟の生き物が紹介されています。
干潟の生物
埋め立てが始まってからすでに50年、浦安には新たな居住者もますます増えています。「漁師町浦安」から発展していく町の歴史として、埋め立て以降の歩みも紹介することで、子どもから大人まで住民の皆さんの地元への愛着が増すのではないでしょうか。
テーマ展示室に続き、9月からは船の展示室の改修工事もはじまります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年8月29日 ]