フランス北西部に位置するブルターニュ地方。豊かな自然や古代の宗教遺物が残るこの地域は、16世紀前半まで独立国として独自の文化を築きあげていました。多くの芸術家を魅了したブルターニュに注目した展覧会が、国立西洋美術館で開催中です。
国立西洋美術館「憧憬の地 ブルターニュ」展 会場入口
19世紀初めのロマン主義の時代、革命を終えたフランスでは自国の自然や歴史遺産の多様性に注目が集まるようになります。イギリスでも「ピクチャレスク・ツアー(絵になる風景を地方に探す旅)」が流行り、人々は自然や史跡を求めてフランス北西部を目指すようになりました。
第1章「見出されたブルターニュ」では、1826年にブルターニュを訪ねたイギリスの風景画家ウィリアム・ターナーによるロワーヌ川やナントの街並みを描いた作品や、フランスの画家・版画家が手掛けた豪華挿絵本などが並びます。
ウィリアム・ターナー《ナント》 1829年 ブルターニュ大公城・ナント歴史博物館
章の後半では、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネ、ポール・シニャックら印象派世代の画家たちがとらえたブルターニュの表情豊かな風景画が紹介されています。
1886年に初めてブルターニュに訪ねたモネは、穏やかな海原と陽光を浴びる岩肌を度々描き出します。変わりやすい天候と海面を無数の筆触と豊かな色彩で表した海岸の景色は、のちの睡蓮の連作にもつながったと考えられています。
(左から)クロード・モネ 《嵐のベリール》 1886年 オルセー美術館(パリ) / クロード・モネ 《ポール=ドモワの洞窟》 1886年 茨城県近代美術館
第2章「風土にはぐくまれる感性」では、ポール・ゴーガンがブルターニュにおいて制作した作品12点から、彼の造形表現の変遷を辿ります。ブルターニュ地方南西部に位置する小村ポン=タヴェンや海辺の村ル・プールデュに滞在したゴーガンは、豊かな自然や民族的遺産、村人たちの精神に触れ、この地に魅了されます。
ポール・ゴーガン 《海辺に立つブルターニュの少女たち》 1889年 国立西洋美術館( 松方コレクション)
印象派の作風にとどまっていたゴーガンは、エミール・ベルナールなどから刺激を受け、単純化したフォルムや色彩を用いて、自らのイメージと現実を画面上で統合する「総合主義」に行きつきます。また、この地で出会ったポール・セリュジエらポン=タヴェン派の画家たちとも交流し個性豊かな様式を展開し、後にパリの画学生らに伝えられることで「ナビ派」のグループ結成にも導きました。
第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」
保養地としても注目されていたブルターニュ。画家の中には制作や避暑のため、ブルターニュに別荘を構え「第二の故郷」としてパリやその近郊の住まいと行き来する者も現れました。ナビ派を結成したモーリス・ドニもその一人です。
敬虔なカトリックだったドニは、信仰に根ざすブルターニュの精神風土に深い共感を抱きます。ブルターニュの海辺に古代ギリシャ・ローマの情景を重ねたように描かれた「水浴」では、古典主義の傾向が見られる身体表現と、装飾的な志向が現れる波の表現が融合されています。
第3章「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」
19世紀から20世紀にかけて注目を集めたのは、レアリスムの系譜の中でブルターニュの風俗や自然を描いた「バンド・ノワール(黒の一団)と呼ばれる画家たちです。 その一人、シャルル・コッテは荒涼とした海沿いの風景や厳しい自然に耐え忍ぶ住民の姿を重々しい色調で表現。深い感情的高揚をもたらす独自なレアリスムで宗教儀礼や喪の情景をとらえました。
シャルル・コッテ 《悲観、海の犠牲者》 1908-09年 西洋美術館(松方コレクション)
第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行」では、明治後期から大正にかけて、日本からパリへ留学していた画家・版画家が紹介されます。法律を学ぶため18歳でパリへ渡った黒田清輝は、日本人画家との交流を経て美術へ転向。ラファエル・コランに師事します。ブレハ島に滞在して描かれた《ブレハの少女》では、日差しを浴びた少女を激しい筆致と鮮烈な色彩で描いています。
黒田清輝 《ブレハの少女》 1891年 石橋財団アーティゾン美術館
黒田と同じコランの門下生であった久米圭一郎も、渡仏した際にブレア島へ足を運び制作に励みました。ブルターニュで女性が付けている髪飾りのコワフと木靴を身につけた二人の少女が林檎を収穫した様子を描いた「林檎拾い」は、サロンへの出品を念頭に制作されたものと考えられ、《晩秋》とともに久米の集大成といえる大作です。
(左)久米桂一郎 《林檎拾い》 1892年 久米美術館
1913年に渡仏した藤田嗣治は、1917年の夏に妻のフェルナンドとともに港町ポルトリューへ滞在します。海を背にした石段と古い教会を描いた「十字架の見える風景」の建物の壁面は、藤田の代名詞といえる乳白色が使われています。キリスト教への関心を深めていた藤田は、1959年にカトリックへ改宗し、レオナールの洗礼名を得ることとなります。
会場には画家たちが旅先から送った絵葉書や旅行トランクも展示され、彼らの足跡をたどることができます。
第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」
多くの画家が魅了されたブルターニュに焦点をあてた、初めてとなる今回の展覧会。会場内には撮影が可能な作品もあります。旅路の思い出の一枚にいかがでしょうか。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年3月17日 ]