現代にレトロ好きがいるように、江戸時代にも古いモノ(古器物)に憧れる人たちが数多くいました。
江戸後期に編纂された、古器物などが描かれた図譜集、今でいうカタログにあたる『聆涛閣集古帖(れいとうかくしゅうこちょう)』に描かれたさまざまな作品・資料を集め、歴史資料に向けられた関心とその広がりを紹介する展覧会が、国立歴史民俗博物館で開催中です。
国立歴史民俗博物館 企画展示「いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-」
『聆涛閣集古帖』を編纂したのは神戸・住吉の豪商、吉田家です。吉田家は18世紀後半〜19世紀後半にかけて、三代、約100年に渡って多数の古文書や古器物を蒐集。その成果として、約2,400件を描いた『聆涛閣集古帖』を編纂しました。
展示室の冒頭で紹介されているのは《馬形埴輪》と、それを描いた『聆涛閣集古帖』の「葬具」。馬形埴輪は吉田家から兵庫県令の神田孝平、大阪毎日新聞社長もつとめた本山彦一へと渡り、関西大学博物館蔵になりました。
(左から)《樽形𤭯》古墳時代(6世紀)個人蔵 / 《馬形埴輪》古墳時代(6世紀後半か)関西大学博物館蔵
『聆涛閣集古帖』葬具 江戸後期 国立歴史民俗博物館蔵
重要文化財《大円山形星兜》は、和歌山県の淡島神社に伝わった鎌倉時代の兜。縦長の鉄地金を、丸頭の鋲で打ち留めています。
護良親王(1308~1335)の兜で、元弘の変で熊野に赴く途中、祈願のため奉納したと伝えられています。『聆涛閣集古帖』にも「護良親王御兜」と注記があります。
(左)重要文化財《大円山形星兜》鎌倉時代 和歌山県淡島神社蔵 大阪城天守閣寄託 / (右)『聆涛閣集古帖』甲冑軍営 江戸後期 国立歴史民俗博物館蔵
『聆涛閣集古帖』を編纂した吉田家の三代、道可(1734~1802)、粛(1768~1832)、敏(1802~1869)についても紹介されています。
吉田道可父子は、念仏行者として支持を集めていた徳本上人を篤く信仰。和歌山で修行中の徳本上人を訪ね、地元の神戸・住吉に草庵を造り迎え入れたと伝えられています。
(左手前)《伝吉田道可坐像》江戸時代(19世紀) 徳本寺蔵
『聆涛閣集古帖』には、ほかの好古図譜から写し取ったものや、別の所蔵者の古器物なども描かれていますが、もちろん、吉田家のコレクションも多数含まれています。
「聆涛閣コレクション」(吉田家旧蔵品)のほとんどは散逸していますが、展覧会では「聆涛閣コレクション」の一部を再現しました。
現在は泉屋博古館蔵で、国宝に指定されている《線刻釈迦三尊等鏡像》も、呉田(ごでん)吉田家に伝わっていたことが『聆涛閣集古帖』に記されています。
(奥)国宝《線刻釈迦三尊等鏡像》平安時代 公益財団法人泉屋博古館蔵 / (手前)『聆涛閣集古帖』鏡 江戸後期 国立歴史民俗博物館蔵"
聖武天皇ゆかりの品をはじめとする、さまざまな美術工芸品を現代に伝える正倉院。江戸時代は「正倉院宝物」に対する関心が高まった時期でもありました。『聆涛閣集古帖』にも、その影響がうかがえます。
江戸時代には何度か正倉院宝庫が開封され、宝物の点検とともに宝物図が作成されました。本格的な調査が始まるのは、明治5年の「社寺宝物調査」です。
《東大寺宝物図》文化14年(1817)東京国立博物館蔵
吉田家三代だけでなく、江戸時代は多くの「好古家」が現れた時代です。
《集古十種稿》は、吉田家ともかかわりがあった松平定信(1759~1829)が編纂した、古器物の模刻集です。碑銘、兵器、鐘銘、楽器など10種を対象に、詳細を記載。同様の出版物としては近世最大規模のものです。
《集古十種稿》松平定信編 寛政12年(1800)序刊 慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)蔵
現代、身の回りにあるものも、100年経てば「いにしえ」の品々。私たちが使っているものの中で、未来の人々が何を大切に思うのか、ちょっと興味があります。
いかにも歴博らしい切り口の企画展です。会期中に展示替えがありますのでご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年3月6日 ]