「東海道五十三次」をはじめ、風景画の名作を数多く描いた浮世絵師・歌川広重。その作品はゴッホやモネにも影響を与えたほど有名ですが、今回の展覧会では新たな魅力を提示しています。
キーワードは、ずばり「おじさん」。広重の作品にしばしば登場する男性に焦点を当てた展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「広重おじさん図譜」会場
展覧会は1章「いろんなおじさん」から。冒頭は、展覧会担当学芸員の渡邉晃さんも一番のお気に入りという作品で、中央左側の男性は、鼻歌でも歌っていそうなのどかな笑顔です。
広重は東海道をテーマにした作品をいくつも描いており、これは題名が隷書体であることから、通称「隷書東海道」と呼ばれるシリーズです。
歌川広重《東海道 丗四 五十三次 二川 猿か馬場》嘉永4年(1851)
続いて、何かを食べたり飲んだりしているおじさん。
《木曽街道六捨九次之内 五捨九 関ヶ原》の右側には、関ヶ原宿の名物である砂糖餅を美味しそうに食べるおじさん。リラックスした姿がユーモラスです。
歌川広重《木曽街道六捨九次之内 五捨九 関ヶ原》天保8〜9年(1837〜38)頃
こちらは有名な保永堂版の「東海道五拾三次之内」の作品なので、ご存じの方が多いかもしれません。旅籠屋の客引きである「留女」が、旅人を宿に連れ込もうとしています。
風呂敷包みを引っ張られたおじさんは、かなり苦しそうな表情です。
歌川広重《東海道五拾三次之内 御油 旅人留女》天保4〜7年(1833〜36)頃
2章は「おじさんたちの狂宴」。風景画で有名な広重ですが、実は戯画も得意。多くの作品を残しています。
《狂戯芸つくし》は、宴会芸を題材にしたシリーズもの。鼻に紐をかけて引き合う「鼻くらべ」など、奇妙な遊びが描かれていますが、注目して欲しいのが下部の人物像。複雑なポーズですが正確に描いており、人物描写における広重の実力が垣間見えます。
歌川広重《狂戯芸つくし 三》弘化4~嘉永1年(1847~48)頃
3章は「街道の旅とおじさん」。江戸時代後期には庶民の間で旅が盛んになりました。
《伊勢参宮宮川の渡し》は、伊勢神宮までは目と鼻の先である宮川の賑わいを描いた作品。江戸の人々にとって、お伊勢参りは、一度は行ってみたい人気ルートでした。
(左手前)歌川広重《伊勢参宮宮川の渡し》安政2年(1855)4月
4章は「物語の中のおじさん」。広重は歴史上のエピソードや歌舞伎の演目など、数々の物語も作品にしており、さまざまなおじさんも登場します。
《忠臣蔵 六段目》では、主役の人物は、右奥の家の入口に小さく配置。中心に描かれているのは、脇役である村人たちで、広重のセンスが光ります。
歌川広重《忠臣蔵 六段目》天保8~9年(1837~38)頃
最後の5章は「おじさんがいっぱい」。多数の人があふれる群集図においても、広重の人物描写はぬかりがありません。小さくても顔が違い、それぞれの個性を描き分けています。
多くの男性でごった返している《浪花名所図会 堂じま米あきない》は、米の取引を描いたもの。取引終了に気づかない仲買たちに対し、水方役人が水をかけて終了を知らせています。
歌川広重《浪花名所図会 堂じま米あきない》天保5年(1834)頃
平置きで紹介されている「みんなのおじさん」は、広重以外の絵師が描いたおじさんです。
《酷暑あそび》を描いたのは歌川国定(三代豊国)。船上には花形役者の八代目市川団十郎など。手前で脇役の役者がさまざまなポーズで泳ぐさまは「江戸時代のアーティスティック(シンクロナイズド)スイミング」ともいわれる作品です。
歌川国貞(三代豊国)《極暑あそび》嘉永5年(1852)5月
展覧会は、中山道広重美術館(岐阜県恵那市)で好評だった企画展「ゆる旅おじさん図譜」と「ゆる旅おじさん図譜リターンズ」のコンセプトを踏襲した企画。広重といえば「抒情的」など高尚な切り口が目立つなか、「おじさん」に着目する事で全く別の魅力に気づいたと、渡邉さんは衝撃を受けたといいます。
展覧会は前期と後期ですべての作品が展示替えされます。おじさんも、そうでない方も、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年2月2日 ]