会場エントランス
アーティゾン美術館では、4月29日(金・祝)~7月10日(日)「写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展が行われています。
主として宗教や歴史などの記録や伝達が用途だった絵画は、写真(カメラ)の登場でその存在意義を大きく見直さざるを得ない転換期を迎えました。
正確にあるがままを描写するだけではない、作家独自の眼をどのように表現するかが芸術性を高めるポイントとなっていきました。
一方写真にも記録以外の芸術性を求められるようになった時、レンズの眼と作家の眼の折り合いをどのようにつけていくべきかが重要とされてきました。
本展は、セザンヌはじめとした石橋財団コレクションの絵画と、活動の初期からそれらの絵画に関心を寄せていた柴田敏雄と鈴木理作の作品を並べた展覧会です。
セッションⅠ:柴田敏雄ーサンプリシテとアブストラクション
このセッションでは、近現代の絵画で重要とされる単純化(サンプリシテ)を柴田が写真でどのように表現しようとしているのかが理解できるものでした。
柴田敏雄《山形県尾花沢市》 2018年
どこにでもある自然や、道路や田畑といった人間の作った造形物の見慣れた形を柴田の眼で切り取ってみると、まるで抽象画のような造形が浮かび上がって見えてきます。
普段は見逃してしまうようなブロックやブイなどというありふれた風景の中に、造形の美しさを見出すとはさすがはアーティストの視点です。
柴田敏雄《山梨県南巨摩郡身延町》 2021年、ピート・モンドリアン《砂丘》 1909年
それらの作品は、モンドリアンが色と形を単純化して制作したこちらの作品と共通性があるように思えました。
セッションⅡ:鈴木理策ー見ることの現実/生まれ続ける世界
このセッションではモネやクールベの風景画とそれに呼応するのような鈴木の風景写真が並べられていました。
鈴木理策《ジヴェルニー16,G-51》 《ジヴェルニー16,G-56》、《ジヴェルニー16,G-49》2016年、《水鏡15,WM-272》、《水鏡15,WM-270》2015年
モネの睡蓮の作品に対して、鈴木は水面に映り込むイメージの層、水面全体のイメージそして水底のイメージの層3つの層(レイヤー)があるという捉え方をしていました。 対象の奥行きを分析してそれを再構築する芸術家の感受性の鋭さだと思い、とても感心しました。
セッションⅢ:ポール・セザンヌ
近代絵画の父とも言われるセザンヌに、柴田も鈴木もかねてより関心を持っていたそうです。こちらのセッションでは、セザンヌの《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》に似た構図の鈴木の《サンサシオン 09,C-58》の雪山の造形がありました。
目の前に現れた風景が意識、あるいは無意識化に名画と重なり合うこともあるのだなと面白く思いました。
セッションⅣ:柴田敏雄ーディフォルメション、フォルムとイマジネーション
ヴァシリー・カンディンスキー《3本の菩提樹》1908年、柴田敏雄《新潟県魚沼市》2017年
左のカンディンスキーの《3本の菩提樹》について柴田は、それぞれ色のついた面がその色によって押したり引いたりする感覚に興味を持ったそうです。
右の柴田の《新潟県魚沼市》の黄、明るい緑、暗い緑、茶色がそれぞれ色の面を作っていて、確かに押したり、引いたりしながら画面全体にうねりを作っているように思えます。
円空《仏像》江戸時代17世紀
またこのセクションのでは、円空の仏像と川や山の斜面の風景写真をコラボレーションさせています。 特に水の流れを写した作品が美しく、今にも水が流れる音が聞こえそうでした。 それはまるで円空の木訥な仏像に添えられた静かな祈りのようでした。
セッションⅤ:鈴木理策ー絵画を生きたものにすること/まじわらない視線
右エドゥアール・マネ《自画像》1878-79年と鈴木理策《Mirror portrait》シリーズ
左に並ぶ鈴木の《Mirror portrait》シリーズは鏡に映る自分をみるモデルをハーフミラーの内側から撮影し、写真を反転し、鏡に映った向きで展示されているそうです。
たしかに自分の姿は鏡の中に見ることができるけれど、他人から見られる姿とは異なっています。 それは自画像を描く画家たちも鏡を見ながら描いているのと同じです。
このセクションでは写る人と撮る人の視線に注目し、私たちにとって見るという経験とは何かを問いかけています。
アルベルト・ジャコメッティ《ディエゴの胸像》1954-55年、鈴木理策による展示風景写真
セッションⅥ:雪舟
最後のセクションでは、雪舟の水墨画と柴田、鈴木両者の作品が並べられています。
左から3つとも柴田敏雄《グランドクーリーダム、ダグラス郡(ワシントン州)》1996年、雪舟《四季山水図(春幅)》、《四季山水図(夏幅)》、《四季山水図(秋幅)》、《四季山水図(冬幅)》室町時代 15世紀
柴田はここでは圧倒的な高さから水の落ちるダムの写真3点を、鈴木は真っ白な世界を動物が見ているような低い視線の「White」シリーズの2点を並べています。
そびえたつ山々と対照的な麓の人家、雪舟の大胆な構図と余白の面白さが現代に生きる2人の作品と共通する部分もたくさんあるように感じます。
2人の作家の写真と石橋財団コレクションが並走したり、交錯するハーモニーを奏でたり、それぞれの関連性やその違いなどを味わった本展はまさしく音楽のジャム・セッションのような楽しみがありました。
[ 取材・撮影・文:松田佳子 / 2022年4月28日 ]
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