ウィーンと京都、2つの都市で活躍した女性デザイナー、上野リチ・リックス(1893-1967)。世界初の回顧展が三菱一号館美術館で開催中です。
三菱一号館美術館
1893年、ユダヤ系の実業家ユリウス・リックスと妻ヴァレリーの4人の娘の長女として生まれたフェリーツェ・リックス(通称・リチ)。ウィーンで育ったリチは、ウィーン工芸学校で建築家ヨーゼフ・ホフマンらに師事。卒業後は1903年に設立されたウィーン工房でテキスタイルを中心に数多くのデザインを生み出します。
第Ⅰ章:ウィーン時代 ファンタジーの誕生
プロローグでは、リチが描きとめたスケッチブックが展示されています。そこには、リチがほとばしる想像力に突き動かされて線を引き、色を施している様子が感じられます。
プロローグ: 京都に生きたウィーン人
金銀細工の制作のほか複数の専門工房を備えたウィーン工房では“良質で簡素な家庭用品を作ること”を目指して様々な製品を生み出します。建物の設計から、家具や壁面装飾、食器類にいたるまでの内装全体を担い、ブランド・イメージの統一を図りました。
第Ⅰ章:ウィーン時代 ファンタジーの誕生
ウィーン工房の特徴として、リチをはじめとする女性デザイナーたちの存在とその活躍も挙げられます。
1910年以降に本格化したテキスタイル部門とファッション部門の活動に参加した女性たちは、自由な描線による多彩な文様と卓抜な色彩構成をもつプリント布地を制作。服飾・小物類や室内装飾品は、ブルジョワ階級の女性たちの熱狂的な支持を獲得しました。
第Ⅰ章:ウィーン時代 ファンタジーの誕生
リチは、1925年にホフマンの建築事務所に在籍していた建築家・上野伊三郎と知り合い結婚。京都に建築事務所を構えて、個人住宅や商業施設の設計・内装デザインを手がけ、1930年まで京都とウィーンを行き来しながら活動を続けていました。
上野リチ・リックス《花鳥図屏風》 1935年頃
第二次世界大戦中は、群馬県の工芸所や京都市の染織試験場でデザイン制作に従事し。リチが手がけた色彩豊かなデザインのプリント布地や刺繡製品などは、日本占領下の外地へ輸出されました。
第Ⅱ章:日本との出会い 新たな人生、新たなファンタジー
終戦後にリチが最も力を入れたのは、教育の分野でした。当時、京都では図案の教育は培われていましたが、本格的なインダストリアル・デザインの教育は不十分でした。
リチは、伊三郎とともに京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に勤務し、デザイン基礎理論について教鞭をとります。定年退職後も、夫妻でインターナショナルデザイン研究所を立ち上げ、京都におけるデザイン教育に大きな足跡を残しています。
第Ⅱ章:日本との出会い新たな人生、新たなファンタジー
リチは京都の企業と協働制作を行う傍ら、建築家・村野藤吾の依頼で日比谷の日生劇場地下にあったフランス料理店「アクトレス」の壁面装飾画を手がけています。 曲面の多い展内に幻想的な雰囲気を醸し出す壁面。 壁から天井までアルミ箔を施した襖紙に、色とりどりの草花、果実、鳥が描かれた作品は、リチの集大成と言えるデザインです。
残念ながら1995年の店の改装に伴い撤去されましたが、京都市立芸術大学資料館に保存された5面が展覧会で飾られています。
《日生劇場旧レストラン「アクトレス」壁画(部分)》 1963年 京都市立芸術大学芸術資料館
“ファンタジー”ということばで想像力を発揮し新しい表現を求め、様々な製品を生み出してきた上野リチ。リチによる自由な線と生命感あふれる色彩感覚が充満した空間に浸ってみては。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 / 2022年2月17日 ]