近代の日本美術を象徴する存在といえる、横山大観。明治元年に生まれ、昭和33年に死去と、その生涯が近代日本の歩みとピッタリ重なるのも、奇妙な縁を感じさせます。
会場は時代順で、明治時代の作品から、年齢的には44歳までですが、大観の長い画業(90歳没)としては、初期の部類に入ります。
大観は東京美術学校の第一期生。校長の岡倉覚三(天心)に目をかけられ、岡倉とともに日本美術院の創立に参画。新しい日本画を模索しますが、筆線を排除した「朦朧体」が酷評されるなど、苦闘の時代が続きます。
生来、好奇心が豊かだった大観。眼にしたものをすぐ絵の主題にするタイプで、米国で見たナイアガラの滝や、地球に接近したハレー彗星まで、日本画にしています。
本展の準備中に、105年ぶりに見つかったのが《白衣観音》です。デッサンの不正確さは残念ですが、表情の描写は印象的。若き日の情熱が伝わってきます。
第1展示室(明治)大正時代になると、岡倉天心が死去(大正2年)。一周忌にあわせて再興された日本美術院では中核として活動する一方、弧を描く線から内側をぼかす「片ぼかし」など、技術的な挑戦も積極的に続けます。
昭和5年にローマで開催された日本美術展で作家総代を務めるなど、この時期には画壇の頂点に。国を代表する画家として自らを律し、絵筆(彩管)をもって国に報いる「彩管報国」の精神のもと、作品の売上を軍に献納しています。
大観は皇室とも関係が深い画家でした。数々の作品を天皇に献上するほか、宮家からの制作依頼も数多く受けています。尊王で知られる水戸藩で生まれた事が、皇室に対する厚い畏敬の念に繋がっているのかもしれません。
第1展示室(大正・昭和)《生々流転》(重要文化財)は、大観のスケールの大きさを示す作品。全長40メートル超と、日本一長い画巻である事は有名ですが、実際に見ると縦方向も大きい(55.3センチ)ことが、印象に残ります。
一滴の水が大河になり、海に注がれ、天に戻るさまを水墨で描いた作品。壮大なドラマをひとつの画面にまとめ、発表時から絶賛されました。本展(東京会場)では、巻き替え無しで広げて展示。小下絵もあわせて紹介されているので、構想段階との変遷もお楽しみいただけます。
東近美の企画展としては珍しく、会場は2Fのギャラリー4にも続きます。終盤は戦後の作品。戦前から得意とした富士山を描き続けたため「大観=富士の画家」という印象が強いですが、さにあらず。情緒あふれる作品など、意外な一面も見えてきます。
第2展示室(大正 《生々流転》)、第3展示室(昭和)近代日本画の中心人物なので「今さら大観?」という方にこそ、改めて見ていただきたい展覧会です。生誕記念の大回顧展としては、2008年の「没後50年 横山大観 ― 新たなる伝説へ」(国立新美術館)以来、10年ぶり。東京国立近代美術館での単独展となると、没した翌年に東京国立博物館と共同で開催された「横山大観遺作展」(1959年)以来、59年ぶり2回目となります。
もうひとつの見どころである《夜桜》《紅葉》の同時展示は、後期展(5/8~5/27)です。東京展の後に、京都国立近代美術館に巡回します(6/8~7/22)
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年4月12日 ]■横山大観 に関するツイート