猛暑が続く東京。天気の変化は現代でもわたしたちの暮らしにさまざまな影響を与えますが、エアコンも無かった江戸時代にはなおのことです。
太田記念美術館で開催中の天気に着目した展覧会、7月30日(金)からは後期展が始まっています。

太田記念美術館「江戸の天気」会場風景
後期展の冒頭は、広重の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》。ゴッホも模写したこの傑作は、浮世絵全体を代表する作品のひとつといえるでしょう。
隅田川に架かる新大橋で、急な夕立に慌てる人々。雨は角度と濃淡の異なる2種の線を、2枚の版木で摺り出しています。ジグザグの構図も巧みなバランス感覚です。

歌川広重《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》安政4年(1857)9月
続いて、小林清親の《武蔵百景之内 隅田川水神森》。手前の座敷は雫が滴っており、奥に黒々とした雨雲。一枚の画面に、降雨と雨後の情景を描きました。座敷にある楽器は、当時流行していた月琴です。

小林清親《武蔵百景之内 隅田川水神森》明治17年(1884)11月
この後はテーマ別で分類されており、最初は「雨」。雨を描いた浮世絵作品はとても多く、さまざまな絵師が腕をふるっています。
溪斎英泉の《原ノ駅》は、大雨にあって着物から水が滴り落ちる女性を描いた作品。歌川国貞の《五月雨の景》では、雨は青い線で表現されています。

(左から)溪斎英泉《原ノ駅》嘉永2~5年(1849~52) / 歌川国貞《五月雨の景》天保4年(1833)頃
続いて「晴れ」。科学的な天気予報などはなかった江戸時代。染物の天日干しは、天候に左右される仕事でした。
天気に左右される事を言い訳にする事から、約束の期限があてにならない事を示す慣用句が「紺屋の明後日」。この手法は、今では使えないですね。

歌川広重《名所江戸百景 神田紺屋町》安政4年(1857)11月
次は「雪」。江戸時代の大部分は現代より寒冷な“小氷期”で、隅田川や寛永寺も雪見の名所とされていました。
広重の《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》は、宿場町を覆う白雪と、闇をあらわす墨色の対比が見事。紙の白さを上手に利用しています。

歌川広重《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》天保4〜7年(1833〜36)頃
次は「夜の空」。ほとんど星の煌めきが感じられない現在の東京と違い、江戸の夜は真っ暗闇。夜空も現在とはだいぶ違っていた事でしょう。
歌川広景《江戸名所道戯尽 三十六 浅艸駒形堂》では、夜空の星は白い丸だけでなく、放射状に光が伸びているものもあり、星の表現に絵師の意識が向いている事がわかります。

歌川広景《江戸名所道戯尽 三十六 浅艸駒形堂》安政6年(1859)11月
続いて「夜明けと夕暮れ」。空の様相が一変する夜明けと夕暮れも、多くの絵師が題材にしました。
広重は名所江戸百景で、ともに夜明け前の日本橋と吉原を描いています。同じような時間帯ですが、前者はこれからはじまる一日の活気が感じられるのに対し、後者は朝帰りの客たちが帰り静かになるイメージが漂います。

(左から)歌川広重《名所江戸百景 日本橋江戸ばし》安政4年(1857)12月 / 歌川広重《名所江戸百景 廓中東雲》安政4年(1857)4月
次は、つむじ風、虹、蜃気楼など「さまざまな気象現象」。当時はそれらの現象について、科学的な解明が進んでいませんでした。
《東海道名所之内 桑名蜃気楼》は河鍋暁斎の作品。蜃気楼は伝説上の生物である蜃(大ハマグリや龍)が、気を吐いて楼台を出現させるものとされていました。

河鍋暁斎《東海道名所之内 桑名蜃気楼》文久3年(1863)5月
「天気と装い」では、気候の変化とファッションについて。《雨乞小町》では、大雨にあった女性が袖口から手拭いを通して、着物を脱がずに背中を拭いています

歌川国貞(三代豊国)《雨乞小町》嘉永6年(1853)2月
「さまざまな雲と空」では、上空の表現に注目。伝統的な「すやり霞」、西洋絵画由来の湧きあがる雲など、浮世絵には独特の雲の形や空の色が見られます。
《薩た之冨士》で複雑なかたちの雲と美しい富士山を、水彩画を思わせるような爽やかな色彩で表現したのは小林清親です。

小林清親《薩た之冨士》明治14年(1881)3月
最後は「物語のなかの天気」。曽我兄弟の討ち入りは雨の日でした。建久4年(1193)5月28日、曽我兄弟は亡父の仇を討ち取りますが、戦いの中で兄の祐成は絶命。大磯の遊女で祐成の愛人だった虎御前が流した涙と重ねて、5月28日に降る雨を「虎ケ雨」といいます。
雨の大磯を描いた広重の《東海道五拾三次之内 大磯 虎ヶ雨》も「虎ヶ雨」の名がついています。

(左手前から)歌川国貞《曽我兄弟十番切図》文政(1818~30)前期 / 歌川広重《東海道五拾三次之内 大磯 虎ヶ雨》天保4年~7年(1833~36)頃
いつもユニークな切り口で、浮世絵の魅力を発信している太田記念美術館。今回もなじみやすいテーマで、定番の名作や、珍しい絵師の作品も展示されていました。
あまり浮世絵に馴染みが無い方も、気軽に楽しめる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年7月29日 ]