アメリカ中西部を代表する国際都市、ミネアポリス市。1883年に市民や実業家が設立した美術協会をもとに、後に開館したのがミネアポリス美術館です。
約9万点を超える美術作品を所蔵する同館から、江戸絵画を中心に厳選された日本美術が里帰り。日本絵画史の主要ジャンルをたどりながら紹介していく展覧会が、サントリー美術館で開催中です。
サントリー美術館「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」会場入口
展覧会は全8章。会場の順路は章構成と違いますが、ここでは図録の掲載順にご紹介します。
第1章は「水墨画」。墨の濃淡で立体感や遠近感、さらに光や大気の状態まで表現する水墨画。中国で生まれ、日本で本格化したのは鎌倉時代からです。南宋文化を身につけた渡来僧とともに流入し、後に足利将軍家も愛好。その美意識が江戸時代にも一部が継承された事から、これらの様式は14~17世紀の日本絵画の大きな柱になりました。
第1章「水墨画」 (左手前)雪村周継《花鳥図屛風》六曲一双 室町時代 16世紀
第2章は「狩野派の時代」。日本のみならず、世界的でも類をみないほど長期に渡って画派を維持した狩野派。狩野正信に始まる、専門絵師集団です。 狩野元信と狩野永徳の活躍で、室町時代から権力者に庇護されて大きく発展。江戸時代に権力の中心が江戸に移ると、狩野派の本拠地も京から江戸へうつり、狩野探幽は余白を活かした新しいスタイルを確立しました。
一方で狩野山楽と狩野山雪は京に留まり、京狩野として勢力を維持。狩野山雪による《群仙図襖(旧・天祥院客殿襖絵)》は、学者肌だった山雪に相応しい画題で、ミネアポリス美術館の日本絵画を代表する作品のひとつです。
第2章「狩野派の時代」 狩野山雪《群仙図襖(旧・天祥院客殿襖絵)》四面 江戸時代 天保3年(1646)
第3章は「やまと絵 ―景物画と物語絵―」「やまと(和)」は「唐(漢)」に対することば。「日本ならでは」という自覚が生まれた平安時代に、日本の風俗や事物を主題とする絵画として「やまと絵」が成立しました。
もとは絵の主題で分類されていましたが、13世紀後半に広まった南宋朝の絵画が「唐絵」と呼ばれるようになると、それまでの伝統的な絵画が「やまと絵」としてまとめられました。
唐絵が水墨が主体なら、やまと絵は濃厚な彩色で装飾的。大画面なら四季の姿、小画面は『源氏物語』などの古典文学がやまと絵の定番です。
《源氏物語図「胡蝶」》は濃彩と金泥金箔で華やかに描かれた作品です。
第3章「やまと絵 ―景物画と物語絵―」 伝 土佐光吉《源氏物語図「胡蝶」》一幅 江戸時代 17世紀
第4章は「琳派」。17世紀初頭の俵屋宗達から始まり、師弟関係ではなく私淑によって近代まで繋がれた系統です。たらし込みなど宗達が生み出した特色ある作風は、100年後の尾形光琳、さらに100年後の酒井抱一へと続いていきました。
鈴木其一《三夕図》は抱一の高弟。その実力は抱一の代筆もこなすほどでした。この作品は『新古今和歌集』の三夕の和歌から着想したものです。
第4章「琳派」 鈴木其一《三夕図》三幅対 江戸時代 19世紀
第5章は「浮世絵」。江戸時代を代表する美術といえる浮世絵。菱川師宣にはじまり、当初の肉筆画から、版元を中心とした絵師・彫師・摺師による分業体制の版画がつくられるようになると、大きく発展しました。印刷も墨摺から多色摺りへと進化し、安価で流通していた鮮やかな錦絵は、庶民を楽しませてくれました。
《四條河原夕涼躰 三枚續》は鳥居派の4代目、鳥居清長の作品。清長は1780年代に長身・細身の女性像で、新しい美人画を生み出しました。
第5章「浮世絵」 (右)鳥居清長《四條河原夕涼躰 三枚續》大判錦絵三枚続 江戸時代 天明4年(1784)頃[展示期間:4/14~5/24]
第6章は「日本の文人画〈南画〉」。文人画は、中国では職業画家に対して文人(王侯貴族や官僚など)が余技で描いた絵画の事ですが、日本においては明・清代の中国絵画に憧れた画家たちが描く作品の事。池大雅と与謝蕪村という二人の職業画家によって大成されました。
日本の文人画は、中国への憧憬を背景にしながらも、日本独自に発展しました。谷文晁による《松島図》も中国の文人画にならった青緑山水様式ですが、画題は日本三景のひとつである松島です。
第6章「日本の文人画〈南画〉」 谷文晁《松島図》一幅 江戸時代 文政9年(1826)
第7章は「画壇の革新者たち」奇想の絵師としてすっかり人気が確立した伊藤若冲や曾我蕭白。江戸時代後期に、それまでの流派や様式にとらわれない個性的な作品を生み出した画家たちの事です。
これらの作品は、以前は日本国内ではあまり評価されませんでした。アメリカをはじめとする在外の日本美術愛好家が、それまでの評価に左右される事なく収集を進めていた結果、散失が防がれたという側面もあります
奇想の系列では、人気の筆頭といえるのが伊藤若冲。自宅で鶏を飼い、庭に放して写生を行ったという若冲は、さまざまな姿態の鶏を巧みに描いています。
第7章「画壇の革新者たち」 伊藤若冲《鶏図押絵貼屛風》(六曲一双のうち左隻)江戸時代 18世紀
最後の第8章は「幕末から近代へ」。開国でもたらされた、絵画の新しい材料や技法、そして「美術」という概念。日本画、洋画、新版画、創作版画など、日本の近代美術は広がっていきました。
ミネアポリス美術館が所蔵する日本の近代美術は、著名な画家としては河鍋暁斎、渡辺省亭、狩野芳崖など。青木年雄はあまり知られていませんが、明治前期にあたる1880年代に渡米した移民画家で、新聞挿絵や風刺画などで活躍しました。
第8章「幕末から近代へ」 青木年雄《鍾馗鬼共之図》一幅 明治時代 19世紀
全作品が撮影可能の嬉しい展覧会。浮世絵版画のみ、会期中に展示替えがあります。詳しくは公式サイトの出品リストでご確認ください。
東京展を皮切りに、福島と滋賀に巡回します。会場と会期はこちらです。
※作品はすべてミネアポリス美術館蔵
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月13日 ]