代表作《パリ市庁舎前のキス》など、パリの人々を独特の感覚で切り取り、“イメージの釣り人”とも評されるフランスの国民的写真家、ロベール・ドアノー(1912-1994)の写真を、「音楽」をテーマにセレクトして紹介する展覧会が開催中です。
展覧会は、2018年末から2019年春にかけて、フランスのフィルハーモニー・ド・パリ内の音楽博物館で開催された展覧会を、日本向けに再構成したもの。1930年代から90年代にかけて撮影された作品約200点を、全8章で展観します。

展覧会ポスター
展覧会は第1章「街角」から。短期間ではありますが、自身も幼い頃にヴァイオリンを習っていたドアノー。後に、耳ではなく目を鍛えて写真の道に進みますが、ドアノーにとって音楽は、常に身近にある存在でした。
1944年、ナチスドイツによる占領から4年ぶりに解放されたパリ。自由に満ちた街には音楽が溢れ、中でも7月14日のフランス革命記念日でもあるパリ祭は、パリ中が宴に染まりました。

第1章「街角」
ドアノーが残した約45万点にも及ぶプリントやネガのほとんどは、仕事として撮影されたものです。
2章で紹介されている戦後のシャンソン歌手のポートレートも、すべて雑誌のための撮影。その多くは、パリの伝説的キャバレーで撮影されています。

第2章「歌手」
セーヌ川の左岸には古くから書店や出版社が多く、戦後は実存主義に共感する若者たちが集い、かつてのモンパルナス界隈のような賑わいをみせるようになりました。
この地には続々とカフェやビストロ、キャバレーがオープン。多くの文化人、知識人、芸術家たちが交流し、当時のパリ文化を象徴する場所として、世界中にも広く知られる場所になりました。

第3章「ビストロ、キャバレー」
パリ解放後には、米進駐軍をねぎらう目的で多くの音楽家が招聘されました。その中で、米国南部で生まれたジャズは、新しい時代の象徴としてパリ市民に熱狂的に受け入れられました。
パリにはジャズ・クラブが続々とオープン。本国では活動を制限されがちだった黒人ミュージシャンも集まった事で、パリは“世界のジャズの中心地”とまで言われました。

第4章「ジャズとロマ音楽」
戦後はレコード市場も急速に拡大しました。第5章では当時の最前線で働く録音風景と、伝統的なクラリネット工場の姿が対照的に紹介されています。
フランスにおける木管楽器の老舗ブランド、ビュッフェ・クランポンは、1825年の創業。ドアノーが撮影した写真には、伝統の技術を守り続ける職人の誇りが滲み出ているようです。

第5章「スタジオ」
戦後のパリではさまざまなカルチャーシーンが一新。伝統的なバレエの世界にも新風が吹き込み、それまでのクラシックバレエの枠から外れる意欲的な作品が次々に発表され、高く評価されていました。一方で保守的な姿勢が強かったオペラは、強い批判にさらされる事となりました。

第6章「オペラ」
パリ音楽院を首席で卒業し、チェリスト、スキーヤー、登山家、俳優など多方面で活躍したモーリス・バケ。バケとドアノーは1944年に出合い、すぐに意気投合しました。
1981年の写真集『チェロと暗室のためのバラード』は、フォトモンタージュやコラージュなどさまざまな技法が駆使された作品です。

第7章「モーリス・バケ」
ドアノーは80年代には高名といえる存在になっていましたが、本人は変わらずに現場を愛し、若いミュージシャンも喜んで撮影しました。

第8章「1980-90年代」
写真を撮る事を心から愛し、終生、そのスタイルを崩さなかったドアノー。会場の最後は、印象的な言葉で締めくくられています。
“特に作品を作ろうとは思ってなかった。私が愛するこの小さな世界の思い出を単純に残したかっただけだ。”

会場の最後
現在でも人気が高く、世界各国で写真展が開かれ続けているドアノー。日本では、東京都写真美術館の入口前にある大きな3枚の写真のうち、一番右側がドアノーの《パリ市庁舎前のキス》です(他は植田正治とロバート・キャパ)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年2月4日 ]