大政奉還、王政復古を経て、明治改元されたのが1868年。日本は、近代国家に向けて大きく舵を切りました。
浮世絵の世界に目を向けると、広重は10年前(1858年没)、国芳は7年前(1861年没)、国貞(三代豊国)は4年前(1864年没)に死去。現役バリバリは、それぞれの門人である二代広重、月岡芳年、豊原国周らでした。
会場ではいつものように、畳敷きスペースの肉筆画から。小林清親《漁火図》からは、西洋画の影響を感じます。
幕末に勃発した様々な事件は、浮世絵師にとって格好の題材でしたが、江戸時代は体制に影響を与える表現は御法度です。別のモチーフによる風刺画として描かれたため、読者は隠された主題を読み解きながら楽しみました。
外国人も浮世絵に描かれるようになります。伝聞の情報を想像力で補っているため、描かれた事象は事実とはかなり違いますが、この手の浮世絵は、それが大きな魅力でもあります。
展示室1階色に着目すると、大きく変わったのが「赤」。安価な人口顔料が輸入され、発色の良い赤は多用されました。毒々しさゆえに現代では評価されませんが、時代の高揚感を示しています。
文明開化によって都市も西洋化。洋風建築、石造りの橋、そして蒸気機関車など新しい風景を描いた浮世絵は「開化絵」と呼ばれました。
鹿鳴館での合唱を描いたのが、楊洲周延《欧洲管絃楽合奏之図》。左上に唱歌「岩間の清水」の楽譜が入っているのはユニークです。
多くの絵師によって繰り返し描かれたのが、西郷隆盛です。維新の立役者が遠い九州の地で最期を迎えた事は、庶民にとって大ニュース。大衆の求めに応えて、さまざまな西郷が描かれました。
展示室2階西洋画や写真など新しい技術が導入される中でも、歩みを止めずに社会に向き合っていた浮世絵師たち。美術としての注目度は下がりますが、「人が見たいものを描く」という強いエネルギーは健在です。
展覧会は2月2日から後期展に入っています。残り1カ月弱、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年2月1日 ]■幕末・明治 激動する浮世絵 に関するツイート