夜光貝や鮑貝など、輝く真珠層を持つ貝を文様の形に切り抜き、嵌め込んだり貼り付けたりする装飾技法、螺鈿(らでん)。美しいグラデーションの輝きは、古来から人々を魅了してきました。
日本における螺鈿技術の受容と展開の歴史をたどりながら、中国大陸・朝鮮半島・日本・琉球の螺鈿作品のを紹介していく展覧会が根津美術館で開催中です。

会場入口
展覧会は第1章「螺鈿とは」から。螺鈿の技術は、厚さ1ミリほどの貝片を使う「厚貝法」と、0.1ミリほどの「薄貝法」に分けられます。前者は貝を糸鋸などで加工し、後者は小刀や鏨(たがね)で打ち抜いて文様にします。
冒頭では漆芸家の片岡華江の技術記録を展示。工程の一部が紹介されています。

第1章「螺鈿とは」
第2章は「厚貝の螺鈿」。日本で螺鈿が本格的にはじまったのは奈良時代から。夜光貝を用いた厚貝技法で、平安時代には蒔絵と併用する独自の展開も生まれました。
鎌倉時代の重要文化財《桜螺鈿鞍》は、日本における厚貝螺鈿技術の頂点ともいえる作品。精巧な貝の切り透かしは、実に見事です。
日本の螺鈿は中国由来ですが、中国・北宋時代の書物に「螺鈿は本来は日本の産品で非常に巧みな細工である」と誤って書かれるほど、日本の螺鈿は高く評価されました。

重要文化財《桜螺鈿鞍》鎌倉時代 13世紀 文化庁
第3章は「薄貝の螺鈿」。一方の中国では、夜光貝や鮑貝の真珠層部分を薄く加工する技術が発展したため、元時代には貝片を組み合わせた絵画的な表現が発達。続く明時代、清時代と貝の加工技術は高まり「紙より薄い」と評されるほどになりました。
《楼閣人物螺鈿箱》は、根津美術館では元時代の作品としていますが、同種の作品で北村美術館が所蔵する重要文化財《牡丹唐草文螺鈿経箱》は高麗製。ただ、高麗経箱の一群は中国製とみる説も出ており、問題は複雑化しています。

《楼閣人物螺鈿箱》中国・元時代 13~14世紀 根津美術館
《楼閣人物螺鈿合子》の蓋裏には、庭で画幅を楽しむ人物。楼閣内部には琴、碁、書を楽しむ人が表現されており、琴棋書画がテーマになっている事が分かります。

《楼閣人物螺鈿合子》中国・明時代 16世紀 根津美術館
第4章は「琉球の螺鈿」。琉球の螺鈿も、中国から伝わりました。15世紀後半から16世紀にかけては朱漆地の螺鈿が中国への進貢品として用いられていたようです。
琉球王府の官営工廠といえる貝摺奉行所も、16世紀後半には設置されていたと思われます。ここでつくられた螺鈿器は、日本の徳川将軍家への献上品には必ず入るようになりました。

《鳳凰巴紋螺鈿小椀》琉球・第二尚氏時代 16~17世紀 個人蔵
第5章は「李朝螺鈿と日本」。李朝の螺鈿は、その前の高麗時代の螺鈿とは異なり、余白をたっぷりとり、リズミカルな曲線で構成された牡丹唐草文が配されるのが特徴的です。
文様部分には人為的にひびを入れる「割貝法」が用いられることも。中国の濃密さとは異なり、明快なデザインがポイントといえます。

《牡丹唐草螺鈿箱》朝鮮・朝鮮時代 18世紀 根津美術館
第6章は「江戸の螺鈿は百花繚乱」。近世に入ると新興の武士や裕福な町人が登場、さらに西洋人との交易もあり、螺鈿の表現もバリエーションが広がっていきます。
《蔦細道螺鈿香合》は、富山藩主の前田家に抱えられた螺鈿工・杣田(そまだ)家による「杣田細工」の香合です。小品ながら精密な細工は圧倒的です。

《蔦細道螺鈿香合》江戸時代 18~19世紀 根津美術館
《象唐子蒔絵螺鈿印籠》は厚貝、象牙、角、玳瑁(たいまい)などが象嵌された上で、薄くレリーフが施されています。
安永年間(1772~81)に下総芝山の大野木専蔵が草案した芝山細工の技法で作られています。

《象唐子蒔絵螺鈿印籠》江戸時代 19世紀 根津美術館
長い歴史を踏まえて、近代の作家たちも螺鈿を用いて魅力的な作品を生み出しています。
人間国宝(重要無形文化財「木工芸」保持者)の黒田辰秋は、鮑貝よりも強く青い光を放つメキシコ鮑貝を好んで用いました。それを「耀貝」(ようがい)と名付けたのは、棟方志功です。

(下から時計回りで)黒田辰秋《朱漆螺鈿花文平棗》昭和時代・20世紀 個人蔵 / 黒田辰秋《金溜大名縞吹雪》昭和時代・20世紀 個人蔵 / 黒田辰秋《耀貝螺鈿茶器》昭和時代・20世紀 個人蔵
螺鈿の「螺」は巻き貝、「鈿」は貝で装飾するという意味。貝を用いる工芸品は世界各地で見られますが、アジア圏では漆工技法に取り入れられたのが特徴といえます。
工芸の展覧会ではよく目にする螺鈿ですが、作例とその歴史、技術をまとめて紹介する機会はあまり多くありません。長い歴史に育まれた美しい輝きをお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年1月8日 ]