現代日本を代表する彫刻家、舟越桂(1951-)。木彫の人物表現はその表現領域を広げ、国内外で高い評価を集めています。
1980年代から今日までの代表的な彫刻作品を中心に紹介する大規模な個展が、渋谷区立松濤美術館で開催中です。
会場風景
舟越桂は岩手県盛岡市生まれ。父は彫刻家の舟越保武、母の道子も早熟な才能をもった俳人でした。
幼少期から父のアトリエで遊んでいた事もあり、自ずと彫刻の道へ。東京造形大学と東京藝術大学大学院の彫刻科で学び、20代のはじめには函館のトラピスト修道院の聖母子像を依頼された事をきっかけに、楠を作品の主要な材料とするようになります。
《妻の肖像》は、27歳の時に結婚した妻がモデル。木彫半身像としては第一作目にあたります。
(左から)《妻の肖像》1979-80 / 《妻の肖像》1976 ともに作家蔵
当初の人物像には目は入っていませんでしたが、父・保武が作品に使っていた大理石の欠片がヒントになり、1982年以降の作品では、大理石に彩色し、透明ラッカーを重ね塗りした目をはめ込むようになりました。
《白い歌をきいた》も、大理石の目が入った作品。友人の姉をモデルにしたものですが、特定のモデルを使う時は、その人を撮影した写真を使うのも特徴的です。
《白い歌をきいた》1984 宗教法人長泉院附属現代彫刻美術館
《教会とカフェ》も魅力的な作品です。1986年に文化庁芸術家在外研修員として1年間ロンドンに滞在した際、現地の人に声をかけて写真を撮り、モデルにしました。残念ながら名前を聞きそびれたため、今でも素性はわかりません。
(右手前)《教会とカフェ》1988 個人蔵
舟越桂の作品は、1990年代前後から「異形化」が進んでいきます。《山を包む私》は、「山」シリーズのひとつ。学生時代に八王子城址を見て、突然「あの山は俺の中に入る」と思った事がきっかけになりました。
その発想は、当時は整理できていませんでしたが、後に、人間の想像力の無限の可能性を意味していた事に気付いたと言います。
《山を包む私》2000 個人蔵
2階の会場に進むと、「異形化」された作品に包まれます。
中央にある《水に映る月蝕》は、前述の《妻の肖像》以来、約23年ぶりに制作した裸体像。同じ木彫の裸体像ですが、その作風は大きく変わりました。肩がなく、腹部が丸く膨らんだ形は、デッサンをしたときに自然にイメージが見えてきたといいます。
《水に映る月蝕》2003 作家蔵
《言葉をつかむ手》では、首が長く伸び、手は裸婦の背中から出て上の方へ。身体の異形化は進んでいますが、表情の静けさもあり、不思議に違和感は感じません。上に向かっている手については、多義的な意味が込められています。
《言葉をつかむ手》2004 西村画廊
舟越は2004年から、古代神話に登場する怪物スフィンクスをモティーフとしたシリーズをはじめました。
両性具有の身体と長い耳をもつスフィンクスについては、人間を外から監視していると同時に、人間の内側にも存在しているもの、と考察しています。
《戦争をみるスフィンクスII》は、舟越の作品としては珍しく、激しい感情表現がなされた作品。2003年に勃発したイラク戦争に対する怒りと嘆きを示したものです。
《戦争をみるスフィンクスII》2006 個人蔵
《スフィンクスには何を問うか?》は、最新作。草食動物のオカピのイメージが重ねられ、スフィンクスの動物性を強調。腹部には大胆な色彩が施されています。
《スフィンクスには何を問うか?》2020 作家蔵
会場の隅には、舟越のアトリエも一部再現されています。机の天板や木槌などは、実際に舟越が使っているものです。
舟越は33歳で世田谷に居を構えて以降、何度か転居していますが、一貫して世田谷区内で制作を続けています。
アトリエの再現
本展は彫刻作品のほかに、ドローイング類も充実しています。舟越桂はデッサンをもとに制作する際はかなり具体的なかたちまで描き、入念に検討した上で木彫へ。いずれの過程でも、最終的な形を生み出すまでの格闘が続きます。
また、舟越が妻や子どもたちのために自作したおもちゃや、書き留められているメモなども展示。家族への想いが垣間見えます。
ドローイングとおもちゃ
父・保武、母・道子、弟の直木の作品もありました。
「長崎26殉教者記念像」などで知られる保武は、大理石やブロンズによる具象彫刻の第一人者。2015年の展覧会は、こちらのコーナーでもご紹介いたしました。弟の直木も彫刻の道に進み、詩情豊かな抽象彫刻などを手がけています。
若い頃、俳人として活躍していた母・道子は、結婚後は句作から離れていましたが、後に再開。一方で難波田龍起から絵画を学び、個展も開催しています。
《しづかな町で長生き時計が鳴る》は、結婚した舟越桂に、道子から贈られた作品。舟越は描かれている以上のことをタイトルにした作品名に感銘を受けたといい、以降は自身の作品にもより自由な作品名がつけられるようになりました。
(左から)舟越道子《しづかな町で長生き時計が鳴る》1977 作家蔵 / 舟越直木《maria》2009 個人蔵
作品が生み出される作家自身の内なる源泉の姿そのものを探っていく展覧会。充実した内容ですが、巡回はせず、渋谷区立松濤美術館だけでの開催です。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年12月8日 ]