江戸時代の初め、仏像をつくりながら諸国を旅した僧侶、円空。彼の仏像は「円空仏」と呼ばれ、今も高い人気を誇ります。円空が志摩地方を訪れた時期は、彼の作風の変化が指摘されており、円空仏を考える時に三重は重要な地です。志摩地方を訪れた円空は、大般若経を修理し、その見返し部分に釈迦説法図を描いています。数少ない円空の絵画作品の中で、質量ともに他を圧倒するこれらの作品全点と、志摩地方の仏像を中心に、県内各地の主な円空仏について紹介します。
第一章 円空の描いた絵
延宝2(1674)年、円空は志摩地方を訪れました。
この年の6月から8月にかけて円空は志摩市阿児町立神に滞在し、伝来した大般若経を修復します。その際、円空は経文が書かれていない見返しの部分に釈迦説法図130点を描きました。これは、円空の貴重な絵画作品として注目されています。それらの絵画は簡略な線で表されますが、伸びやかで生き生きとした筆づかいが感じられます。同様の絵は、志摩市志摩町片田の大般若経58点にも描かれており、立神より先に描かれたと考えられています。片田の大般若経では、当初仏の姿を丁寧に描いているのですが、それらはやがて自由で奔放な構図へと大胆に変化していきます。
片田、立神と順に見ることで、円空の作風の変化を感じていただければと思います。
第二章 三重の円空仏
三重県内には、現在30体を超える円空仏が伝来しています。
代表的なものは、延宝2(1674)年頃に志摩地方で制作されたと考えられる円空仏です。また、伊勢市内にも円空仏が比較的まとまって残されていることから、時期は不明ながら当地に滞在していたと見る向きもあります。近年、三重県内では円空が仏像を作り始めた最初期の作例が2体確認されており、それらの仏像をあわせて展観することで多彩な表現が確認できます。このほか、生誕地の岐阜県と接する三重県北部には、近世の交流を通じてもたらされた円空仏が伝わっており、円空仏の分布の奥行きも感じられます。
第三章 円空仏の広がり
ここでは、円空が志摩地方を訪れる前後の作例と、岐阜県内の作例について触れます。
寛文11(1671)年、円空は法隆寺(奈良県)において法相宗の僧に弟子入りし、翌年には郡上(岐阜県)を経て吉野(奈良県)で越年します。そして、延宝2(1674)年には志摩に至りました。翌年、大峯(奈良県)で修験道の元祖といえる役行者の像を制作しました。志摩滞在前後を代表する作例として、法隆寺の大日如来坐像と松尾寺(奈良県)に伝わった役行者倚像を紹介します。加えて、円空の没した岐阜県関市とその周辺の円空仏も展示します。三重の円空仏から広がる世界を少しでも感じていただければと思います。