1796年、紫染め職人の家に生まれた鈴木其一(1795年説も有り)。1つ年下が歌川広重、2つ下は歌川国芳と浮世絵界にもスターが揃っていますが酒井抱一が再興して洗練度を高めた江戸琳派も、大きく花開いていきました。
酒井抱一の最も優れた弟子だったのが、鈴木其一です。華麗な琳派のスタイルを継承しつつも、その枠に留まらない自由な作風で独特の世界を築いていきました。
会場は最初のフロアが序章~2章まで。師である抱一の作品から始まり、抱一門下時代の作品、抱一が没した後の作品へと進みます。
高いデザイン性はどの作品からも感じる事ができますが、中でも「描表装(かきびょうそう)」はユニーク。掛け軸において、本絵ではない表装部分にも描いたもので、節句絵や草花図、物語絵などさまざまなジャンルで展開されました。
序章~2章次のフロアは3章と4章(会場構成の関係で4章が先です)。家督を長男に譲ってからの晩年の作品と、酒井抱一門下で同門だった兄弟弟子や、其一の門下生として江戸琳派を後世に伝えた弟子たちの作品が紹介されています。
本展最大の見ものが、メトロポリタン美術館が所蔵する《朝顔図屏風》。明らかに尾形光琳の《燕子花図屏風》(根津美術館蔵)を意識した作品で、光琳は直線的にカキツバタを配したのに対し、其一はうねるような曲線で朝顔をレイアウト。大小の葉を用いる事で、ダイナミックな奥行きも感じられます。
其一が50歳を前に号したのが「菁々(せいせい)」。花が盛んな様子を表す「菁」に相応しく、晩年に入ってからも精力的に創作を続けましたが、1857年に突然死去。この年に大流行したコレラが原因でした。
箱書で「画狂其一」と自称していた其一。もうひとりの画狂、葛飾北斎は90歳(数え)没でしたが、其一は63歳没。あと27年生きたら、日本の美術史は変わっていたかもしれません。
3章~4章サントリー美術館での展覧会は10月いっぱい。会期中に何度か展示替えがあり、ご紹介している作品の中には展示されていないものもありますのでご注意ください(《朝顔図屏風》は東京展のみ、全期間展示されます)。
東京展の後は兵庫と京都に巡回。
会期と会場はこちらでご紹介しています。[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年9月9日 ]■鈴木其一 江戸琳派の旗手 に関するツイート