高級陶器とガラス器の製造販売会社を営む家庭に生まれたガレ。10代から父を手伝って、陶器をデザインしていました。
義勇軍に入隊し、普仏戦争に参戦したガレ。戦争はフランスの敗北に終わり、ガレの故郷(アルザス・ロレーヌ地方)は一部がドイツに割譲されます。ガレのデザインにしばしば見られるロレーヌ十字やナンシーの紋章アザミからは、ガレの強い愛国心が読み取れます。
一方で、ガレの作品にはイスラムから東洋まで、異国情緒あふれる作品も少なくありません。万国博覧会の時代でもあったこの時代、フランスにいながら異文化に触れていたガレは、その様式を自らのスタイルに巧みに取り込んでいきます。会場にはガレが所有していた中国製の鼻煙壺(嗅ぎタバコ入れ)も展示されています。
第1章「ガレと祖国」、第2章「ガレと異国」ガレの作品に数多く見られる、植物モチーフ。田園や森林をこよなく愛した母からの影響を受け、14歳頃から植物採集に出ていました。単に愛好するだけでなく、著名な植物学教授にも観察結果を提供するなど、植物学に没頭。植物学者として認められる存在でした。
ガレは自宅に広大な庭園を所有、2000種以上の植物を、まさに身近な場所で栽培していました。植物の絵はボタニカルアートとしても極めて水準が高く、その熱心な研究は、芸術家であるガレの作品として結実しました。
第3章「ガレと植物学」植物と同じようにガレの作品にしばしば登場するのが、虫、鳥、動物たち。さらにガレは海洋生物にも興味を持っていました。
ガレは自然科学冊子などから情報を収集。制作過程で描かれたデッサン類からは、自然のモチーフを生物学的な視点から探求した模様も伺えます。
第4章「ガレと生物学」ガレは学生時代にフランス語論文、ラテン語、ギリシャ語などの文系科目で優秀な成績を修めており、文学的な志向も持ち合わせていました。1880年代からは、文学者が残した印象的な一節をテーマにした作品を制作。「もの言うガラス Verrerie parlante」と呼ばれ、高いメッセージ性が見てとれます。
エピローグで紹介されているガレの極地は、ガラスによる彫刻。ランプ「ひとよ茸」は、本来は笠を開くと一晩で溶けてしまう小さなキノコを、総高83.8センチという巨大なランプに拡大しました。か弱いキノコに宿る生命力を力強く表現しています。
第5章「ガレと文学」、エピローグ「ガレの究極」現代でいうところの、アートディレクター的な立場で作品を制作したガレ(ガレ自身がガラスを吹いて作ったわけではありません)。デザイン画に細かな注意を書いて、職人に指示。認められた作品にはガレのサインが入れられおり、会場ではガレのサインについての解説もあります。
ガレを取り上げる展覧会はよく見るように思いますが、
サントリー美術館では実に8年ぶりとなるガレ展。巡回せずに
サントリー美術館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年6月28日 ]■サントリー美術館 エミール・ガレ に関するツイート