200年経った現在でも愛されているトワル・ド・ジュイの魅力をたっぷり紹介する展覧会ですが、まずはトワル・ド・ジュイが誕生する前から振り返ります。
トワル・ド・ジュイのデザイン的な特徴といえる田園モティーフは、中世に流行したタペストリーから。素材としての西洋更紗は、東インド会社によってもたらされたインド更紗が源泉で、それまでの絹やウールと違って手軽に洗濯できる事からヨーロッパで大流行しました。
インド更紗はオランダ東インド会社を通じて日本でも持ちこまれ、大名や文人たちの間で珍重されました。
「田園モティーフの源泉」「インド更紗への熱狂」あまりに流行した更紗は、伝統的なテキスタイル生産者の反発を買い、なんとフランスでは1686年から73年間にわたって、更紗の製作・綿の輸入・着用が禁止される事態になりました。
禁止令が解かれる頃に、優れた捺染技術者として声がかかったのが、弱冠20歳だったクリストフ=フィリップ・オーベルカンプ。オーベルカンプがジュイ=アン=ジョザスに設立した小さな捺染工場が、トワル・ド・ジュイの始まりです。
当初は木版プリントを用い、インド更紗とは異なるフランス流の花模様を発展させたオーベルカンプ。バラ、ライラック、忘れな草など身近な花々を用い、木版プリントで3万種以上のデザインを作っています。
「トワル・ド・ジュイの工場の設立」「木版プリントに咲いた花園」トワル・ド・ジュイとして最も良く知られる、田園風景に人物を配して単一色調で描いたデザインは、1750年から始めた銅版プリントで制作したもの。動物画家のジャン=バティスト・ユエを起用し、優美な人物像は評判を呼びました。
順調に業績を伸ばしたオーベルカンプの工場。1783年にはルイ16世によって「王立」の称号を与えられています。
「銅版プリントに広がる田園風景」トワル・ド・ジュイはフランス革命後には徐々に衰退。オーベルカンプが死去して30年も経たずに工場は閉鎖してしまいます。
ただ、その魅力は後世にも伝えられました。ウィリアム・モリスやラウル・デュフィなどの作品からも、その影響を見る事ができます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年6月14日 ]■西洋更紗 トワル・ド・ジュイ に関するツイート