現在のフィレンツェ市庁舎であるパラッツォ・ヴェッキオ。もとは14世紀に宮殿として建設された、フィレンツェのシンボル的な建物です。
15世紀末に共和国政府が実権を握ると、この館に住んでいたメディチ家を追放。大評議会広間(通称「五百人大広間」)を増改築し、向かい合う壁面に戦勝画が描かれる事となりました。
レオナルドによる「アンギアーリの戦い」は、その壁画のひとつです。大壁面に激烈な闘争が描かれる予定でしたが、残念ながら未完のまま終了。しかも後年には別の壁画で覆われてしまいました。
《タヴォラ・ドーリア》は、壁画の中心部を描いた板絵です。制作されたのも壁画とほぼ同時期で、往時の姿を今に伝える最も重要な史料とされています。
本展は《タヴォラ・ドーリア》を中心に「アンギアーリの戦い」に関連する資料を一堂に展示。失われた壁画の真実に迫る企画です。
会場入口からさっそく《タヴォラ・ドーリア》をご紹介しましょう。ポプラの板に描かれた油彩画で、85.5×115.5cmと思いのほか大きめ。戦士と馬がもつれあって軍旗を奪い合う様子が、鮮やかな色彩で描かれています。
1620年頃にジェノヴァの貴族ドーリア侯爵の所蔵となり、約3世紀にわたって愛蔵されてきた事から「ドーリア家の板絵=タヴォラ・ドーリア」の名で呼ばれます。
作者については、レオナルド本人によるものという説と、レオナルドに基づく模写であるという説があり、現時点でははっきりと分かっていません。
作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)《タヴォラ・ドーリア》(《アンギアーリの戦い》の軍旗争奪場面)「五百人大広間」のもうひとつの壁画が、ミケランジェロによる「カッシナの戦い」です。こちらも未完に終わったため、残存するのは後年の模写のみ。そのうちのひとつが《タヴォラ・ドーリア》と並ぶように展示されています。
描かれたのは、川で水浴していたフィレンツェ軍が急襲を受けて戦闘に向かう場面。ミケランジェロが得意とした人体表現を存分に発揮できる構図です。
レオナルドとミケランジェロが同じプロジェクトを手掛けたのは、これが唯一。もし両作品とも完成して現存していたら…想像するだけでワクワクしてしまいます。
アリストーティレ・ダ・サンガッロ(本名バスティアーノ・ダ・サンガッロ)《カッシナの戦い》(ミケランジェロの下絵による模写)16世紀半ばまでは現存していた「アンギアーリの戦い」。迫力あふれる描写は見る者の心を捉え、多くの画家によって模写されました。17世紀のバロックの時代になっても、後年の画家に大きな影響を与えています。
会場には数々の模写や関連作品も紹介されており、展示室最後には立体模型で復元された《タヴォラ・ドーリア》も。回って鑑賞すると、うねるように人馬が配置されている事が分かります。
関連する絵画や、立体模型で復元された《タヴォラ・ドーリア》なども文献によると、レオナルドは「アンギアーリの戦い」の原寸大下絵と、軍旗争奪の場面の未完の壁画を描いた事は確実で、おそらく同じ場面の板絵も描いたと推定されています。果たして《タヴォラ・ドーリア》が、その板絵なのか…会場で鑑定してみてください。
東京富士美術館から始まった全国巡回展。東京展の後に京都(
京都文化博物館:8/22~11/23)、仙台(
宮城県美術館:2016年 3/19~5/29)と続きます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年5月25日 ]