江ノ島電鉄の経営などに関わった実業家・菅原通済(1894-1981)が創設した常盤山文庫。菅原道真の37代目の子孫を自称していた通済は、天神関連の資料を祖父の代から収集しており、現在では常盤山文庫コレクションの柱の一つとして数えられています。
本展では常盤山文庫の所蔵品から、天神関連の軸物や版画など全111点を紹介する企画展(会期中通じて)。実在した平安時代の貴族が、どのようにして神様として広まっていったのか、その諸相を展観します。
地下の展示室は肉筆画中心当時の貴族の正装である束帯姿の菅原道真を描いた「束帯天神」は、中世から近世にかけて多くの絵師らが表現してきました。会場でも酒井抱一、鈴木其一らの著名の絵師の作品も紹介されます。
一般的な「束帯天神」は、憤怒の表情。無実の罪で太宰府に左遷となった恨みから、目は吊り上がり、下唇を噛みしめています。上下から押さえつけるように笏(しゃく)を持っているのも、怒りを堪えているポーズです。
天神さまが中国に行き、禅の名僧・無準師範(ぶしゅんしばん)から袈裟を授かったという「渡唐天神」の伝説。両者は200年以上時代が異なりますが、渡唐天神像も多くの絵画になりました。中国風の服装に履(くつ)を履き、肩には無準から授かった袈裟が入った袋。今では馴染みは薄いですが、江戸時代までは誰でも知っているポピュラーな画題でした。
「束帯天神」と「渡唐天神」道真の波乱の人生と、天神になった後の逸話や伝説をあわせて描いたのが《北野天神縁起絵巻》です。
11歳で漢詩を詠む天才だった菅原道真。天皇の信任を得て55歳で右大臣まで上り詰めますが、左大臣の藤原時平と対立。時平の讒言によって大宰権帥(だざいごんのそつ)に左遷となり、失意のうちに2年後に没しました。
絵巻は12月29日までの前期で1巻、2015年1月4日~1月25日の後期で2・3巻を展示。寵愛していた邸内の紅梅に、有名な「東風吹かば匂い興せよ梅の花…」という別離の歌を詠む場面が描かれています。この梅の木は後に道真を慕って太宰府に飛来したという「飛梅伝説」の由来となるものです。
《北野天神縁起絵巻》2階では浮世絵を紹介。版画が発達すると天神さまはさら広まり、浮世絵の黎明期から明治時代に至るまで、多くの絵師が天神さまや道真を主題にした作品を手掛けています。
江戸時代の娯楽の花形だった芝居においても、「菅原伝授手習鑑」は義太夫三大名作のひとつ。著名な役者が演じた名シーンを描いた浮世絵も大量に作られました。
江戸という地域においても、天神さまを祀っている亀戸天満宮と湯島天満宮は参詣・行楽の名所でもありました。天神信仰を背景に多くの人が訪れた両天満宮の姿を広重や三代豊国、小林清親らが美しい名所絵で描いています。
浮世絵に描かれた天神さま蛇足ですが、道真は太宰府に「流された」とよくいわれますが、これは不正確。かなり位が下がったとはいえ、ちゃんと任官しているので「左遷」のほうが正しい表現です。
学問の神様に囲まれることになる会場。美術館を出る時は、心なしか聡明になっているかも?
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年12月8日 ]※会期中展示替えがあります