「竹取物語」や「南総里見八犬伝」のように日本にも空想あふれる物語は昔からありましたが、今に繋がるSFは明治時代から。海外書籍の翻訳から、徐々に国産SFが作られるようになりました。
本格的にSFが広がったのは戦後の事です。1954年に日本初のSF専門誌「星雲」が刊行(ただし1号のみ)。1957年には同人誌「宇宙塵」が創刊され、星新一も同誌からプロ作家の道を歩み始めています(2013年廃刊)。
そして1959年末に、現在まで続く「SFマガジン」が早川書房から刊行されました。同誌は2014年5月で700号を達成、本展でも会場の冒頭で、その長い歴史を紹介しています。
SFマガジン日本SF第一世代の作家として、会場では特に五人をピックアップしました。
近代的なSFを最も早く書き始めた星新一、大阪万博のプロデューサーも務めた小松左京、鉄腕アトムをはじめSFも多い「マンガの神様」手塚治虫、SF小説の挿絵や装丁を数多く手がけた真鍋博、「時をかける少女」は何度も映画化された筒井康隆。
筒井康隆を除く4人は、すでに物故者。それぞれ自身の言葉や資料で、その足跡を振り返ります。
会場ご紹介したいコーナーが「SFアートの世界」。SF小説の扉絵には、ひと目でそれと分かる特徴的なイラストがよく見られます。会場では中島靖侃や斎藤和明などによる原画を展示しています。
メカ類とともにしばしば登場するのは、露出が多くグラマラスな女性。安定した様式美といえるかもしれません。
「SFアートの世界」日本SFを語る上で、大伴昌司(おおともしょうじ)の存在を忘れるわけにはいきません。
一昨年の弥生美術館での回顧展も記憶に新しいところです。
少年マガジンの編集者だった大伴は、巻頭グラビアで「ウルトラ怪獣の解剖図」をはじめ、さまざまな人気企画を連発。その仕事は当時の子どもたちを熱狂させ、日本SFの魅力を倍増させた大功労者といえます。
「大伴昌司の仕事」多くの国産SFの中で、あえて1点だけ挙げるなら、やはり小松左京の「日本沈没」でしょう。地殻変動で日本が消滅する衝撃のストーリーは9年がかりで執筆され、1973年に発表。同年の映画も880万人を動員する大ヒットとなりました。
本展で初公開されたのが、半村良が小松に宛てた手紙。読後の半村は「もう小説を書くのをよそうと思いました」と綴るほどでした。
「日本沈没」の原稿や資料などぜひミュージアムショップで手に取っていただきたいのが、限定ミニブック「きつねこあり」。68mm×52mmの豆本で、筒井康隆「きつね」、星新一「ネコ」、小松左京「アリ」の3編を1冊に収録し、500円とお手頃価格です。会期中、
世田谷文学館のみでの販売です。
また、公式図録も楽しいデザインです。「日本SFの父」海野十三(うんの・じゅうざ)の書籍のカバーイラストを使い、中身も往年の子ども向け雑誌のような質感。こちらは
世田谷文学館のオンラインショップでも販売しています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年7月30日 ]■日本SF展 に関するツイート