日本書紀設立1300年
2020年『日本書紀』が編纂されてから1300年という年に特別展「出雲と大和」が開催されます。
重要文化財 日本書紀 巻二(部分) 南北朝時代・永和1~3年(1375~1377)後期展示(2/11~3/8)愛知・熱田神宮蔵
ここには冒頭、国譲りの神話が記されています。出雲大社のオオクニヌシには「幽」の世界、天皇は「顕」の世界を司るとされました。
「幽」は人間の能力を超え、神々や祭祀の世界で「出雲」を意味し、「顕」は目に見える現実、政治の世界「大和」を意味します。
出雲、大和の貴重な作品約170件から、見る機会の少ない展示を紹介します。
出雲大社の巨大柱 同時展示
出雲大社は「幽」の世界を司るオオクニヌシを祀っています。
古代の本殿は、48mの高さを誇ったと伝えられていました。
それを裏付けるような巨大な柱が、2000年に出土しました。
会場入口風景
今回、一番の見どころとも言える巨大柱は、会場に入るといきなり登場し圧倒されます。
(左奥から)重要文化財《心御柱》島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代 宝治2年(1248) 島根・出雲大社 / 重要文化財《宇豆柱》島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代 宝治2年(1248) 島根・出雲大社(島根県立古代出雲歴史博物館保管)
出雲大社本殿を支えた「心御柱」と「宇豆柱」が同時公開されるのは、史上初です。
しかも、この2つの柱は、実際に発掘された間隔と同じです。
ガラスケースの上には、柱が建てられていた状態を再現しています。
この柱の設計図として、出雲大社の宮司千家国造家に伝わっていたのが下図。
金輪御造営差図 鎌倉~室町時代・13~16世紀 島根・千家家蔵 前期展示(1/15~2/9)
ここに記された状態と発掘状況が一致し、驚きに包まれました。
直径1.3mの柱を3本束ね1組にした柱を、9本建てて支えています。
発掘前、想像されていた神殿の姿がこちらです。
1/10の模型で再現されました。想定年代は平安時代です。
1/10になった目線で見上げてみるとその巨大さが実感できます。
《模型 出雲大社本殿》平成11年(1999) 島根・出雲市
百済が贈った七支刀
大和は、王権の儀礼が繰り広げられる舞台となりました。
古墳時代、前方後円墳には、埴輪や副葬品などが埋葬され、絶大なる政治権力の証です。
そんな大和の権力を外交面で伝えるのがこの刀です。
国宝 七支刀 古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵
『日本書紀』の中で、百済の国王から倭王に、刀が献上されたと記録があります。
石上神宮に伝わる宝剣には、刀の両面に61文字の象嵌があり、その意味は百済で作られ倭に贈ったと解釈されています。
本作を、日本書紀に登場する《七枝刀》とみる考えが根強いとのこと。
特徴的な形状、そして高句麗の南下で緊張関係にあった百済が倭とつながろうとした背景が伺え、当時の情勢を知る一級史料です。
ご神体に匹敵するため公開の機会がほとんどありません。
記念講演会も大盛況
東京大学名誉教授、佐藤信氏による講演会も開催されました。
たくさんの方が会場に集まり、興味や期待の高さが伺えます。
佐藤信氏より最後に、島根県と奈良県、東京国立博物館の共同で、出雲と大和の名品を一堂に集めることができたことは、大変喜ばしいこと。
その陰には、なかなか進まない発掘作業など地道にすすめてきた関係者、それをサポートする県の協力あってのことと、感謝の言葉で締めくくられました。
古代出雲と大和の交流が、今の時代にも引き継がれ、古代日本の姿が浮かびあがりました。令和の変わり目に、永続的な日本の歴史と、日本人としての源流を考えさせられる機会になりました。
エリアレポーターのご紹介 | コロコロ 美術鑑賞から、いろいろなモノの見方を発見させられます。作品から広がる世界や着眼点を提示できたらと思っています。理系の目で鑑賞したら、そんな見方も提示できたらと思っています。こちらでネタを集めています。コロコロのアート見て歩記&調べ歩記録 |
エリアレポーター募集中!あなたの目線でミュージアムや展覧会をレポートしてみませんか?