展覧会は2部構成。企画展示室の2会場を使用し、それぞれで「東北の地震・津波」「近代の震災」と進んでいきます。
第1会場入り口は、東日本大震災の津波波及シミュレーション映像から。津波は太平洋に広がり、7時間後にはハワイ、11時間後に米国西海岸、23時間後にはチリに到達しました。
続いて、過去に東北で発生した震災が紹介されます。古代から現代まで、東北地方は繰り返し地震や津波の被害を受けてきました。
会場の入り口から東日本大震災のスペースは、あまり大きくありません。今でも避難生活をしている方がいる事を含め、「歴史にみる震災」という枠組みの中で、まとまった形で提示できる段階ではないと考えているためです。
被災資料のレスキュー活動のパネルとともに展示されているのは、司馬江漢が描いた衝立。石巻でのレスキュー活動で発見され、洗浄・保存処理の後に仙台市博物館に寄贈されました。
東日本大震災の紹介第2会場は、第2章「近代の震災」。多くの資料が展示されているのが、1923年(大正12)年の関東大震災です。
関東大震災の被害としては、多くの人が犠牲になった被服廠跡(ひふくしょうあと)などが有名ですが、実は横浜や千葉でも大きな被害がでています。会場では、やや離れた場所の被災についても紹介しており、「被災地」という概念についても問いかけます。
展示物の中には、なぜか歌本の表紙があります。実は関東大震災の後にはさまざまな歌が作られており、歌本やレコードとして各地に伝えられました。
現在の感覚からすると違和感がありますが、当時はテレビもラジオも無かった時代。歌による情報伝達は有効な手段だったのです。同様に、絵葉書も数多く作られています。
関東大震災の紹介続いて、関東大震災以降の大地震が取り上げられています。1925(大正14)年の北但馬地震は428名、1927(昭和2)年の北丹後地震は2,925名が亡くなる大震災でした。
時代的な背景もあり、記憶に残りにくい大地震もあります。東南海地震は1944(昭和19)年、三河地震は1945(昭和20)年と戦時下だったため、厳しい情報統制の中で国民の戦意に悪影響を及ぼすような報道はできませんでした。
逆に福井地震は占領下の1948(昭和23)年に発生。GHQの下で救援活動が行われましたが、治安維持を目的に公安条例が制定されるなど、共産主義に繋がると危惧された動きが規制を受けています。
会場後半取材前は、いわゆる「有名な大地震」の被害を振り返る展覧会かと思っていましたが、「忘れられている大地震」にもスポットを当てた企画展です。
残念ながら、時間の流れとともに風化していく震災の記憶。今でも阪神・淡路大震災の発生日を正確に言える方は、どのくらいいるでしょうか。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年3月10日 ]※阪神・淡路大震災の発生は、1995年(平成7年)1月17日です。