開館10周年を迎えた
八王子市夢美術館。小島善太郎はコレクションの柱の一つでもあり、今までも何回か小島をテーマにした展覧会を開催しています。今回は前田寛治の故郷である鳥取県立博物館などからも、多数の優品が揃いました。
展覧会は3章構成、第1章は「前田寛治、小島善太郎 それぞれのパリ」です。小島は29歳だった1922年、前田は翌年26歳でパリに留学。留学前には面識がある程度だった二人ですが、同年代ということもありパリで親しく交際します。
会場入口から印象派や未来派など当時流行した絵画を志向する留学生も多い中、古典絵画に関心を示した二人。ともに真面目な性格で、実直に絵画技法を研究しました。
前田はレアリスムに傾倒、一時はマルクス主義の影響で労働者も描きました。留学の総括として選んだのが婦人像と裸婦で、展示されている《仰臥裸婦》は、マネ《オランピア》との類似性が指摘されています。
小島はルーブルで古典の模写に没頭。ティントレットの大作《スザンナと長老たち》を2年かけて模写しました。憂いを帯びた表情の婦人像は、小島が恋仲になったテレサ。小島には婚約者がおり、テレサも人妻だったため、この恋は成就しませんでした。
前田寛治《仰臥裸婦》と、小島善太郎《青い帽子(テレサの像)》第2章は「パリから東京へ 前田寛治と1930年協会」。1925年に帰国した二人は翌年、木下孝則、里見勝蔵、佐伯祐三を加えた5人で「1930年協会」を結成します。
1930年協会は会員も増えて隆盛しますが、佐伯がパリで客死、里見勝蔵が脱会、前田も病に倒れて33歳で死去してしまいます。結局、新に発足した独立美術協会に合流するように消滅。最後の展覧会は、奇しくも会の名前と同じ1930年でした。
絵画とともに紹介されている資料の中で、ユニークな「出前注文票」。1930年協会の第2回展のもので「12時半までに之にかかぬと注文せぬ」の書き込みと、注文した品が列記されています。表から読むと、ウナギが流行っていたようです。
第2章「パリから東京へ 前田寛治と1930年協会」第3章は「1930年以降の小島善太郎 人と芸術」。新に結成された独立美術協会でも小島善太郎は中心的な存在でした。独立美術協会は1931年に第1回展を開催、現在まで続く有力団体に成長しました。
小島は1932年から現在の八王子市に転居。自然に囲まれた暮らしの中でのびのびと制作を続けるとともに、近隣の美術愛好家や子どもたちにも絵を指導し、地域にも愛され続けました。
第3章「1930年以降の小島善太郎 人と芸術」小島善太郎は最晩年には隣の日野市に転居。青梅市に
小島善太郎美術館の建設も進んでいましたが、開館1ケ月半前に91歳で死去。日野ではアトリエも公開されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年12月18日 ] | | 写実の要件
前田 寛治 (著) 中央公論美術出版 ¥ 4,200 |