昭和10年頃から昭和30年頃までの、国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示している昭和館。今回の特別企画展は、かつて想像されていた懐かしい未来=レトロフューチャーをテーマに、少年文化の魅力を紹介していく試みです。
展覧会は3章構成で、第1章は「空想科学(SF)の黎明」。冒頭に展示されている押川春浪「海島冒険奇譚 海底軍艦」は、明治33年の発表。日本SFのさきがけです。
昭和初期に活躍した海野十三は、日本SFの父。宇宙、海底、未来などをテーマに、多くの科学冒険小説を発表しました。
その海野や山中峯太郎らが少年向けの作品を書いたのが、講談社の『少年倶楽部』です。発行部数が伸び悩んでいた少年倶楽部は、挿絵画家に樺島勝一を起用、大きく飛躍していきました。
写実的で精密な樺島の作風は、小説の世界観とマッチ。特に海の表現は見事で、「船のカバシマ」と讃えられました。展示されている原画の海面も、まるで写真のようです。
ただ、戦時中の作品では、原画に描かれた航空母艦が消されたものも。情報統制が少年雑誌にも及んでいた事が分かります。
樺島に憧れていた小松崎茂は、次の世代の挿絵画家です。戦前には国防科学雑誌『機械化』の挿絵を担当。「未来の新案兵器」として成層圏爆撃機などの図解も描き、人気を博しました。
第2章は「紙芝居・絵物語の世界」。街頭紙芝居は昭和初期から広まり、東京高等工芸学校の学生だった永松健夫が描いた「黄金バット」は大ヒットしました。
出版が盛んになると、紙芝居を描いていた山川惣治は、紙上に絵と文章をまとめた作品を「紙上紙芝居」として発表。後に「絵物語」と呼ばれるようになります。
小松崎も科学冒険絵物語を数多く描きました。第五福竜丸のビキニ環礁被曝事件(昭和29年)なども踏まえ、原子力がもたらす恐ろしい未来像も、しばしば描いています。
第3章は「少年たちの未来予想図」。昭和30年代には「SF」という言葉も定着。少年雑誌が月刊から週刊に移行すると、絵物語から漫画へと流行が進んでいきます。
雑誌口絵で小松崎は「テレビ飛行機」「空飛ぶ学校バス」などを発表。米国のプランを元に、宇宙ステーションも描きました。
展覧会の大きな見せ場が、小松崎による講談社『少年少女世界科学冒険全集』シリーズの表紙原画。全35巻中34巻の表紙絵と口絵を担当し、宇宙、深海、秘境などを舞台にした作品を描いています。
娯楽性が高い少年雑誌の中で、このシリーズは学校図書館にも収蔵されました。「学校で読めるSF」としても、多くの子どもが目にしています。
そして、小松崎といえばプロモデルのボックスアート(箱絵)。戦記物の複雑なメカは、小松崎の十八番です。
小松崎が特に強く関心を寄せていたのが、戦艦大和でした。仕事を離れても大和の設計図を描くほどの入れ込みようで、生涯で何度も大和を描いています。
ただ、小松崎を含め、多くの日本人は大和の実物を見た事がありません。軍の最高機密だった大和の存在が一般に知られるようになったのは、戦後になってからです。
敗戦という現実を踏まえながら技術大国を目指していた日本人にとって、世界最大の戦艦大和は、日本の技術力の象徴でもあります。そして、小松崎が描いた大和の絵は、日本人のプライドを子どもたちに伝えていく事になったのです。
開館21年目に入った昭和館で、初めて行われている美術の展覧会。残念ながら開幕のメドは立っていませんが、力の入った展覧会の雰囲気を少しでも感じていただければと、取材させていただきました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年3月31日 ]