展覧会のテーマは「もうひとつの歌川派」ですが、まずは「お馴染みの歌川派」から。歌川国芳(1798-1861)は武者絵から戯画まで豊かな才能を発揮。弟子の月岡芳年(1839-1892)は「血みどろ絵」で一世を風靡しました。
ここからが本展のキモです。まずは芳年の弟子、右田年英(1863-1925)。大分に生まれ、上京後に月岡芳年に入門しました。
芳年の門下で四天王といわれたのが、水野年方・稲野年恒・山崎年信・右田年英。中でも評価が高い二人が、年方と年英でした。
年英は新聞小説の挿絵で、長きに渡って活躍しました。日露戦争の報道錦絵など浮世絵も手掛け、伝統的な技法を守る事にも尽力しています。
温厚で良き家庭人だった年英は、多くの弟子を育てました。そのエースといえるのが鰭崎英朋(1880-1968)で、今年はちょうど生誕140年となります。
父を知らずに育った英朋。17歳上の右田年英は、英朋にとって師であるとともに、父のような存在でした。画業はもちろん、まじめな人柄まで年英から引き継ぎ、着実に成長していきました。
文壇の大御所・尾崎紅葉に目をかけられ、出版社の春陽堂の挿絵画家として活躍。「目が大きく二重瞼で、口は小さく唇は少し厚く…」と、女性の完璧な美しさを追求し、独特の美人画には定評があります。
英朋の代表作といえるのが、小説家・泉鏡花の「続風流線」の木版口絵です。気を失った女性が水中から助けられる、官能美あふれる作品です。
よく見ると、歌川国芳が用いた「芳桐印」を落款に用いています。師匠筋とはいえ、自らの作品に他人の落款を使う事はほとんど例が無く、あるいは歌川派としての気概を強く持って挑んだ作品なのかもしれません。
展覧会の大きな目玉が、英朋の日本画《焼あと》です。英朋と同門で、大親友だった伊東英泰の遺族宅に大切に保管されていました。
1905年の展覧会で発表された作品で、展示されるのはなんと115年ぶり。立札を食い入るように見つめる美しい女性は、英朋ならではの表情です。英朋は川端玉章から日本画を学んだ事もありました。
最後は神保朋世(1901-1994)。雑誌や新聞の挿絵で活躍、特に「オール読物」に連載された野村胡堂の「銭形平次捕物控」は、1933年から1957年まで挿絵を担当しています。
朋世は伊東深水にも入門し、日本画も積極的に発表。平成まで歌川派を引継ぎました。
会場で関連資料として紹介されているのが、歌川派に連なる他の画家たち。岩田専太郎や小松崎茂なども、実は歌川派の系譜です。
本展は、太田記念美術館で2/15~3/22に開催される「鏑木清方と鰭崎英朋近代文学を彩る口絵 朝日智雄コレクション」展と連携しています。半券を提示すると、割引料金で入館できます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年1月14日 ]