20世紀前半にパリを拠点に活動したルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)。人体や鳥をモチーフに、石や木など素材の特性に即した作品を生み出したブランクーシの創作を一望する日本の美術館で初の展覧会が、アーティゾン美術館ではじまりました。
アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」会場
初期から後半期まで約20点の彫刻作品が並んだ会場では、7つのキーワードでブランクーシの作品を追っていきます。
ルーマニアの美術学校で彫刻を学んだ後、1904年にパリの国立美術学校へ通ったブランクーシ。その時期に制作した《プライド》は、モデルの顔立ちが明瞭で、アカデミックな作風が窺えます。一方、表面が滑らかに処理され《苦しみ》は、表情が不明瞭で外面的な写実性を超えたかのように感じられるます。
01「形成期」
オーギュスト・ロダンから高く評価されていたブランクーシは、ロダンの工房で働きますが、その期間はわずか1か月ほどでした。
ロダンの彫刻は粘土による塑造が中心で、分業制で彫造していたことに対し、ブランクーシは一人で石の塊からフォルムを彫り出す「直彫り」の技法で制作するようになります。
02「直彫り」
石膏による《接吻》は、最初期の直彫りに基づく一点です。素材の質感を残しながらも、柔らかな曲線でだきしめあう腕を表現した作品です。
02「直彫り」
隣には、台座を無くして直接置いた作品群。ブランクーシにとって、初めて試みたものです。
素材やフォルムを少しずつマイナーチェンジさせながら、制作を進めていったブランクーシ。アフリカの仮面などプリミティブなものへの関心を高めていた時期には、パリの多様な芸術に関するソースを吸収しながら、卵型の頭部を生み出します。
生命や誕生のシンボルとして重力から解放され、水平に置かれた頭部像を創出した様子は、壁際の写真作品からも感じとることができます。
03「フォルム」
06「カメラ」
1907年からパリのモンパルナスを拠点としていたブランクーシは、1916年に集合アトリエに入居します。制作中の作品や台座、石材や木材などの素材に埋め尽くされ、ブランクーシの創作の象徴となっていたアトリエ。存命中にパリでは個展が開かれなかったため、作品はこの部屋でしか見ることができませんでした。
会場では、白い床に天窓のあるアトリエを再現。太陽の照射量を同期させ、リアルタイムで異なる光を楽しめる空間になっています。
05「アトリエ」
ブランクーシは独自の道を歩んでいきましたが、他の芸術家たちとの交流もありました。パリに出て間もない頃に造形への関心を共有したモディリアーニや、キュレーターおよびエージェントとしてブランクーシのアメリカでの受容に尽力したデュシャンなどとも接点がありました。
ブランクーシに弟子入りしたイサム・ノグチは、台座を制作するとことからはじまり、素材の扱いや直彫りを学んでいます。
04「交流」
04「交流」
ブランクーシは、鳥を好んでモチーフにしており、生涯考え続けていたというほどのこだわりを持っていました。ルーマニア伝承の民話を出発点とする鳥の主題は、次第に同時代の産業技術であった航空機への関心と結びつき、1920年~30年代にかけて発展を遂げていきます。円弧を描くしなやかなフォルムは、天空を志向する飛翔の運動自体に焦点を当てています。
ブランクーシは、特定の作品に関しては、バックにパネルを付けていたという記録も残されています。会場でも色の付けたパネルを背景に《雄鶏》や《空間の鳥》が展示されています。
07「鳥」
現在、パリのポンピドゥー・センターでも回顧展が開催されていますが、当地でもブランクーシ展は29年ぶり。日本では、その全貌を俯瞰できる展覧会として、初めて開催されます。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年3月15日 ]