幕末から明治にかけて活躍した、狩野派の絵師で浮世絵も描いた河鍋暁斎(1831~1889)。その画力に時代がようやく追いついたのか、近年、大きな展覧会が相次いで開催されています。
ただ、暁斎の作品では肉筆画や版画は何度も紹介されていますが、絵本はあまり展示されていません。太田記念美術館で開催中の本展では、ズバリ、暁斎の絵本に着目しました。
太田記念美術館「河鍋暁斎 ― 躍動する絵本」
展覧会はジャンル別の3章構成で、あわせて12冊の絵本を紹介。第1章は「人間と骸骨」です。
骸骨なのに「生き生きと」というのもどうかと思いますが、踊ったり、伸びをしたり、二人組でアクロバティックなポーズをとったりと、今にも動き出しそうです。
河鍋暁斎『暁斎漫画』明治14年(1881)
絵本は、印刷した版画を折ってつくるため、当然の事ながら画面は小さくなります。大きくても普通の浮世絵の半分、小さいものなら4分の一以下にすぎません。
ただ、暁斎は小さな画面でも、決して手を抜きません。余白を嫌うかのように、端から端まで徹底的に描きつくします。
河鍋暁斎『暁斎酔画』二編 明治16年(1883)
第2章は「動物と自然」。暁斎の師のひとりである歌川国芳は無類の猫好きでしたが、暁斎は蛙が大好き。初めてスケッチしたのも蛙で、谷中にある暁斎の墓も、蛙に似た自然石を使っています。
擬人化された蛙の戦いは、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」から。勇ましい顔つきですが、武器はガマの穂を掲げています。
河鍋暁斎『暁斎漫画』明治14年(1881)
動物による戯画を描く一方で、迫真の描写も暁斎が得意としたところ。写生を重んじて、弟子にも写生の重要性を説いていました。
こちらの作品では鳥や獣が他の動物を襲っていますが、なんと左下は腐乱した人の死体を引きずっていく狼。修行時代に拾った生首を写生したという暁斎ならではの描写です。
河鍋暁斎『暁斎漫画』明治14年(1881)
第3章は「妖怪と神仏」。暁斎が描く妖怪や幽霊は、どことなくユーモラス。人間のような生活感が感じられる事もしばしばあります。
こちらは、興福寺の舞人である狛行光が春日明神の案内で地獄をめぐる場面。14世紀の絵巻物「春日権現記絵巻」が元になっており、暁斎は古典からも学んでいた事がわかります。
瓜生政和著・河鍋暁斎画『暁斎画談 内篇』巻之下 明治20年(1887)
こちらは、暁斎が亡くなった後に出版されたもの。絵本ですが蛇腹状に折り畳まれており、絵巻物のように楽しむ事ができます。
内容は百鬼夜行の体裁で、さまざまな妖怪が登場します。
河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』明治22年(1889)
続いて神さま。七福神が文明開化の新しい風俗を取り入れようとしています。
ただ、福禄寿は頭が大きすぎてシルクハットが入りませんし、布袋もお腹が邪魔して洋服の前がしまりません。
河鍋暁斎『暁斎漫画』明治14年(1881)
小さな画面を突き破るような暁斎のパワー。お持ちなら単眼鏡の持参をおすすめします。
前後期で全ての作品が展示替えとなります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年10月28日 ]