日本を代表する芸術のひとつである錦絵(浮世絵版画)。もちろん最盛期は江戸時代ですが、出版は明治に入ってからも続き、時代にあわせてさまざまな作品が世に送り出されました。
近代国家成立の過程や文明開化がもたらした新しい生活など、明治時代を描いた錦絵を紹介する展覧会が、神奈川県立歴史博物館で開催中です。

会場の神奈川県立歴史博物館 入口
展覧会は2部構成で、第1部は「明治年代記」。幕末から明治時代の終わりまで、約60年間の出来事が年代順に紹介されます。
まずは、幕末の尊王攘夷運動を象徴する殺傷事件から。文久2(1862)年、武蔵国生麦村(現・横浜市鶴見区)で、島津久光の行列を乱したイギリス人らを薩摩藩士が殺傷し、大きな外交問題になりました。
この作品は事件の15年後に描かれたもの。被害者であるイギリス人がコミカルに表現されています。

松山《生麦之発殺》明治10(1877)年
明治維新で徳川幕府は倒れますが、新政府内でも政治的な対立が続きます。
中でも朝鮮への対応をめぐる争いは、決定的な分裂に繋がりました。征韓論を主張する西郷隆盛らと、反対する岩倉具視らが激突。政治闘争に敗れた西郷は下野し、西南戦争へと進んでいきます。
この作品では、中央の軍服姿が西郷、右側の背中が大久保と木戸孝允です。迫力あふれる討論の場面ですが、会議に出席していない人物がいるなど、史実とは異なります。

松山《西海揚波起原》明治10(1877)年
板垣退助も征韓論にともなう政変で下野しました。国会開設の詔を受け、いち早く自由党を結成し、党勢拡大のため各地を遊説。自由民権運動です。
この作品は、岐阜県を遊説した際に暴漢に襲われた場面です。襲撃を受け「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだと伝わりますが、この絵の中では、その言葉はありません。

豊宣《板垣君遭難之図》明治15(1882)年
福島安正は陸軍の軍人。明治25(1892)年から26年にかけて、冒険旅行と称してシベリアの大地を馬で横断、「シベリア単騎横断」として喝采を浴びました。明治26(1893)年に上野で歓迎式が開催され、馬車に乗って敬礼するのが福島中佐です。
翌年の明治27(1894)年は天皇・皇后の大婚25周年、いわゆる銀婚式の式典も行われました。欧米の習慣にならったものです。

(上から)小国政《福島中佐君帰朝 上野不忍池畔歓迎之図》明治26(1893)年 / 年昌《銀婚式御祝典之図》明治27(1894)年
明治45年7月30日に天皇は崩御。御年61歳、激動の明治時代は終焉を迎えました。
作品は、牛に引かれた霊轜(れいじ)が青山練兵場葬場殿に向かう場面です。実際は夜の8時に行われたので、この錦絵は保存版のグラビアのような位置付けだったのかもしれません。

半哺《二重橋外御大葬之図》大正元(1912)年
第2部は「文明開化と錦絵」。開国で変容した諸相を、4つの切り口で掘り下げていきます。
ひとつ目は「文明開花の風景と風俗」。明治23(1890)年に竣工した凌雲閣は、鹿鳴館などとともに文明開化のシンボル的な建築物です。高さ約52メートル、「十二階」の愛称で親しまれましたが、関東大震災で上部が崩落、後に撤去されました。

延一《浅草公園凌雲閣之図》明治25(1892)年
続いて「明治の錦絵あれこれ」。《欧州管弦楽合奏之図》では、鹿鳴館スタイルの女性と洋装の男性が合唱・合奏しています。
左上の楽譜は、小学唱歌「岩間の清水」です。

周延《欧洲管絃楽合奏之図》明治22(1889)年
次は「明治の肖像画」。政府の高官や天皇など、為政者の姿を描いた作品です。
展示作品の中には、実際の人物の肖像写真が並べられているものもあります。そっくりもあれば、やや微妙な人相も。比べてお楽しみください。

周延《扶桑高貴鏡》明治19(1886)年
最後は「明治の絵師たち」。月岡芳年や小林清親なども見逃せませんが、ここでは近年、人気を集めている小原古邨に注目。花鳥画が知られる古邨ですが、日露戦争の作品も描いています。
明治37(1904)年4月に清国と朝鮮の間を流れる鴨緑江で起こった鴨緑江会戦。待ち構えるロシア軍を日本陸軍は砲撃、旅団長のカスタリスキー将軍は戦死しました。

古邨《九連城蛤蟆塘之激戦 我軍大捷露国狙撃歩兵第三師団長中将カスタリスキー将軍戦死之図》明治37(1904)年
幕末の開国から明治維新の流れは、当時の人々にとっては、突然開かれた近代への扉。戸惑いながらも、急速に時代の流れに乗っていく人々の姿は、実にエネルギッシュです。
教科書でよく見るシーンも多く、歴史好きにはたまらない展覧会です。会期は前期が終了し、すでに後期展示です。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年5月26日 ]