アール・ヌーヴォーを代表する画家・デザイナーのアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。華麗な作品は日本でも愛され、これまでに何度も展覧会が開かれています。
今回の展覧会では良く知られるポスターだけでなく、本、雑誌、ポストカード、切手、紙幣や商品パッケージなどの仕事にも注目。バラエティ豊かな作品群で、改めてミュシャの魅力に迫ります。
会場のうらわ美術館 入口
展覧会は7章構成。第1章「くらしを彩る装飾パネル」からスタートします。
19世紀に成熟したリトグラフ(石版画)技法の発展は、美術においても大きな意味がありました。それまで絵画は富裕層しか目にすることができませんでしたが、リトグラフのポスターにより、一般市民も美術を身近に感じられるようになったのです。
ミュシャはリトグラフの技法をいち早く導入。華やかなアクセサリーや衣装に身を纏った女性と、得意の流れるような曲線で、70cm前後の装飾パネルを次々に制作しました。
(左から)アルフォンス・ミュシャ《アイリス》1897 / アルフォンス・ミュシャ《バラ》1897 / アルフォンス・ミュシャ《百合》1897 / アルフォンス・ミュシャ《カーネーション》1897 すべて OZAWAコレクション蔵
続く第2章は「パリ時代の魅力的な商業ポスター」、ミュシャを代表する作品群です。
ミュシャを一躍スターダムにのし上げたのが、フランスの大女優、サラ・ベルナールとの出会いです。彼女が演ずる『ジスモンダ』のためのポスターを、たまたま印刷所に居合わせたミュシャがデザイン。ポスターは大評判になり、一夜にしてミュシャは時代の寵児になったのです。
19世紀末のパリでは、広告ポスターが宣伝ツールとして大きな役割を果たしていました。ミュシャは演劇をはじめ、酒、タバコ、食品、鉄道と、さまざまな分野の広告ポスターを手がけています。
(左から)アルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ》1894 / アルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ アメリカツアー》1895 ともに OGATAコレクション蔵
第3章は「挿絵の魅力」。画学生時代に支援を打ち切られたミュシャが、やむを得ずに始めたのが挿絵の仕事でした。
生活のために始めた仕事でしたが、優れたデッサン力とドラマチックな構成で、物語の世界を巧みに表現。壮大な歴史小説から子ども向けの物語まで、挿絵画家としても非凡な才能を発揮しました。
ミュシャ自身も思い入れがあったのか、広告ポスターで成功した後も多くの挿絵を描いています。
(手前)アルフォンス・ミュシャ《リリュストラシオン 1896-1897 クリスマス号》1896 OGATAコレクション蔵
本展の目玉といえるのが、第4章「装飾資料集、装飾人物集」です。ミュシャ様式の教科書というべきふたつの図案集が、ともに全ページ公開されています。
全72枚の図版からなる『装飾資料集』は、植物、人物、動物、活字、家具、装飾品などさまざまなモチーフを収録。室内装飾をトータルコーディネートした図版も入っています。
『装飾資料集』の好評を得て3年後に出版されたのが『装飾人物集』。こちらは人物像を円形、半円形、星型、三角形、放射線形、アーチ形などの中に、さまざまなポーズ、表情、姿勢で描きました。
アルフォンス・ミュシャ《装飾資料集》1902 OGATAコレクション蔵
アルフォンス・ミュシャ《装飾人物集》1905 OGATAコレクション蔵
第5章は「ミュシャ(ムハ)とアメリカ」。1904年、ミュシャは初めてアメリカを訪問。これ以降1910年にかけて、アメリカとパリを行き来して活動することとなります。
時代は、アメリカが世界一の大国へと大きく成長していた時期。ミュシャはアメリカで肖像画の依頼を次々に受け、個展や講演会も精力的に行いました。
(左6点、左上から時計回りで)アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 6月》1922 / アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 4月》1922 / アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 2月》1922 / アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 3月》1922 / アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 5月》1922 / アルフォンス・ミュシャ《ハースト・インターナショナル 7月》1922 / (右1点)アルフォンス・ミュシャ《リテラリー・ダイジェスト》1910 すべて OGATAコレクション蔵
第6章は「わが祖国チェコ」。1910年に祖国チェコに戻ったミュシャ。プラハに近いズビロフ城にアトリエを構えて《スラヴ叙事詩》を完成させ、全作品をプラハ市に寄贈しました。
ミュシャは祖国を強く愛していました。1918年に独立した新生チェコスロヴァキア共和国の新政府から切手、紙幣、国章、果ては警察官の制服にいたるまでデザイン。そのほとんどを、無償で引き受けています。
第二次世界大戦直前の1939年、プラハはナチスドイツの侵攻を受け、ミュシャもゲシュタポに拘束されてしまいます。老境のミュシャにとって、厳しい尋問は大きな負担でした。釈放されたものの、この年に死去。79年の生涯でした。
(左から)アルフォンス・ミュシャ《スラヴ叙事詩展》1928 / アルフォンス・ミュシャ《モラヴィア教師合唱団》1911 ともに OGATAコレクション蔵
最後の第7章「くらしの中で愛されるミュシャ(ムハ)」では、幅広い種類の作品が紹介されています。
ミュシャのグラフィックは絵皿、陶器、商品パッケージ、ポストカード、絵入りのメニュー、カレンダー、室内装飾とさまざまな商品で利用されました。ミュシャの人気を物語っていると同時に、さらにミュシャの存在を世界に広めていくこととなりました。
19世紀末から20世紀はじめは、ポストカードの黄金時代とされ、有名な作家によるデザインが次々と生み出されました。ミュシャのポストカードは数が多く、金粉などを散りばめた豪華なものも含め、本展では150点以上展示されています。
(2点とも)アルフォンス・ミュシャ《ビスケット缶容器》 ともに OGATAコレクション蔵
収集方針のひとつとして「本をめぐるアート」を掲げているうらわ美術館。本や雑誌の仕事も見られる本展では、ミュシャの幅広い世界を楽しく実感できる展覧会になりました。
同時開催の「クロス・ポイント―本のアートをめぐって」展とあわせて、お楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年5月14日 ]