家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いたのが1603年。明を倒した李自成を討ち、清が都を北京と定めたのが1664年。両国の体制が固まり、東アジア全体が安定期に入ったのが18世紀でした。
展覧会は18世紀を中心に、江戸と北京の姿を紹介するもの。まずは両都市の城郭と治世です。
江戸は鎌倉時代からありますが、本格的に都市開発が進んだのは家康の時代になってから。逆に北京は、1153年に金帝国が中都(燕京、現在の北京)を首都と定め、1406年には紫禁城の建設が始まった古い都市です。
将軍の装束として展示されているのは羽織や太刀など。清の皇帝が着用する明黄の礼服は即位などで用いろ最高位の装束です。
第1章「江戸・北京の城郭と治世」続いて、両都市の都市生活について。
1790年に北京で行われた乾隆帝80歳の式典を描いた《乾隆八旬万寿慶典図巻》は、中国国外で展示されるのは初めて。沿道にはさまざまな飾り物もあり、活気あふれる街の様子が伺えます。
一方の《熈代勝覧》は、1805年頃の江戸の姿。神田今川橋から日本橋まで、多くの店舗と人びとで賑わうメインストリートが描かれました。こちらはベルリン国立アジア美術館蔵、日本での公開は11年ぶりです。
さらに市民の暮らしを「住まう」「商う」などのテーマに分けて、実物を展示。比べてみると、やはり北京の方が色合いが派手に思えます。
傑作なのが「学ぶ」で展示されている、科挙受験のカンニングペーパー。官僚採用試験である科挙の熾烈さは有名ですが、昔も今も考える事は同じ。驚きの小さな文字でびっしりと書いたこの小さな巻物を隠して、試験に臨んだのでしょうか。結果が気になるところです。
第2章「江戸・北京の都市生活」会場最後には、清代北京の芸術も特集されています。清の最盛期は康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代。三皇帝とも学問や芸術文化を好み、出身である満州族の文化はもちろん漢・蒙古・チベット・ウイグルなど他の民族の芸術文化も融和させ、さらに西洋文化も受容し、芸術世界は大きく花開いていきました。
印象的な大皿は《青花御窯廠図磁器板》。景徳鎮で作られたものですが、描かれた図柄も景徳鎮での磁器生産の風景。精緻な描写の素晴らしさだけでなく、清代景徳鎮の生産体制を知る上でも、貴重な資料です。
第3章「清代北京の芸術文化」清朝の芸術文化を紹介する企画展はしばしば開催されてきましたが、同時代の北京と江戸を比較してみせるのは初めての試みです。巡回せずに、
江戸東京博物館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年2月17日 ]■江戸と北京 に関するツイート