江戸末期から明治初期の木彫家、高村光雲。東京国立博物館の重要文化財《老猿》や、上野公園の西郷隆盛像でも知られる重要な作家の長男として1883(明治16)年に生まれたのが、高村光太郎です。
父からは江戸時代そのままの指導で木彫の基礎を学び、東京美術学校では塑造も学習。卒業後は米と仏に留学し、帰国後は詩人や批評家としての活動の方が広く知られるようになりました。
光太郎はアトリエが戦時中に被災し、残念ながら多くの作品が焼失してしまいましたが、本展では代表的な木彫や塑像の作品に加え、光太郎と親交があった同時代の作家の作品も紹介。彫刻家としての光太郎の歩みを振り返ります。
展覧会場展覧会の特徴のひとつが「手」にフォーカスした構成。展覧会の冒頭も光太郎の《デスハンド》(参考出品)からです。
彫刻家としての高村光太郎の代表作といえば、親指を反らせて薬指と小指を曲げた《手》。美術の教科書にも掲載されている有名な作品はもちろん本展にも出品されていますが、光太郎の《手》を囲むように、さまざまな作家による手の作品が並びます。
順に、高村光太郎《腕》、エミール=アントワーヌ・ブールデル《アダムの手》、アリスティド・マイヨール《手》、毛利教武《手》、オーギュスト・ロダン《痙攣する大きな手》、そして、高村光太郎《手》展覧会メインビジュアルにもなっている蟬(セミ)は、とても小さな木彫作品。木彫からスタートした光太郎は、一時期は塑像が制作の中心になりますが、後年には再び木彫も手掛けるようになりました。
「全体のまとまりがいい事」と、セミの持つ線の美しさにひかれて、セミをモチーフに何点も彫刻した光太郎。「薄いものを薄く掘ってしまうと下品になり、ガサツになる」「厚く彫れば愚鈍で、どてらを着たセミになってしまう」と、翅(はね)の表現に対してのこだわりを語っています。
《蟬 3》最後の展示室では、妻・智恵子の作品も紹介されています。ちなみに、千葉の九十九里浜は智恵子の母と妹夫婦が済んでいた場所。智恵子もその地で療養していた事がありました。
光太郎と結婚する前から、若き女性芸術家として注目を集めていた智恵子。精神を病んだ智恵子の作業療法として制作された切り紙の作品「紙絵」です。繊細な表現と独特の色彩感覚が光ります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年7月9日 ]智恵子の作品