【新型コロナウイルス感染防止のため、開催中止】
戦後間もない1949年(昭和24)1月26日午前7時ごろ、法隆寺金堂で火災が発生。解体修理中だったため、外されていた上層部分や、移座されていた釈迦三尊像は被害を免れたものの、壁画は激しく焼損してしまいました。
この惨事を契機に制定されたのが文化財保護法で、今年は制定からちようど70周年。展覧会はこれを記念したもので、文化財継承の意義を伝えていきます。
金堂壁画は、7世紀末頃に描かれた仏教絵画です。現在の大陸には、古代東アジアの仏教絵画が残っていない事もあり、極めて貴重な文化財といえます。
金堂が一般に公開されたのは、江戸時代の中頃から。1852年(嘉永5)には早くも模写されています。礼拝画として描かれたため記録ではありませんが、現存する壁画の模写では最古の作例です。
近代になってからは京の画工・桜井香雲が、現状を記録的に模写。大正時代になると壁面の撮影が行われたほか、日本画家・鈴木空如は壁画全十二面を3度に渡って模写しました。
昭和に入ると大規模な修理事業が始まります。京都の美術印刷会社・便利堂は壁画全体を撮影。これらの写真は、2015年に国の重要文化財に指定されています。
同時に進められた模写は、荒井寛方、中村岳陵、橋本明治、入江波光らが担当。当時は軍事用だった蛍光灯も利用し、色彩も入念に写していきました。
入江波光は白装束で作業するなど、画家たちは並々ならぬ意欲で模写を進めましたが、戦争の激化で事業は中断。遅延を余儀なくされたため、真冬も模写作業を進める中で、1月26日を迎えてしまったのです。
焼損壁画は破棄されたわけではなく、今でも法隆寺で移築・保存されています。将来的には公開も視野に入れています。
展覧会ではあわせて、法隆寺のほとけも紹介されています。
中央に鎮座するのは「百済観音」の名で知られる国宝《観音菩薩立像》。昭和の初めまで法隆寺金堂の北面にありました。
像高209cm。顔が小さく、一般的な仏像に比べると異様なほどの痩身。横から見ると、身体の薄さが良く分かります。これは観音像の超越性を強調しています。
みどころといえるのが、しなやかな指のつくり。水瓶の口を持つ左手は、指先が徐々にずれ、右手は衆生を救うように前に差し伸べられています。
飛鳥時代を代表する仏像にも関わらず、謎も多い百済観音。百済国から伝えられたという確証はなく、天平時代の資材帳には記述がないなど、いつから法隆寺にあるのかも定かではありません。
百済観音の前に並ぶのは、金堂の本尊釈迦三尊像の左右に安置されている、国宝《毘沙門天立像》と国宝《吉祥天立像》。こちらは平安時代の作です。穏やかな表現で、いかにも平安時代らしい像容です。
会場最後には「スーパークローン文化財」も特別出品。東京藝術大学が制作した、法隆寺金堂本尊の釈迦三尊像です。実際の像は門外不出なので、細部まで再現したうえで、高い可搬性を持つスーパークローン文化財は、今後もさまざまな場所で活用が期待されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年3月16日 ]