第二次世界大戦の最中、解放されたばかりのパリで生まれたボルタンスキー。名前から分かるように父はユダヤ系で、告発から逃れるため隠れて生活するなど、複雑な境遇で育ちました。
13歳の時に作ったオブジェを兄に褒められた事をきっかけに、アーティストの道に進みました。当初は具象絵画を描いていましたが、限界を実感して断念。映画制作に方針を転換します。
1968年に短編映画と、映画で使った人形(ひとがた)を用いたインスタレーションを発表。翌年には兄が主人公を演じた《なめる男》《咳をする男》を制作しました。本展の会場冒頭では、この映像作品も紹介されています。
1970年代からは、写真を用いた作品を発表。1972年にはドイツのカッセルで開かれた国際現代美術展のドクメンタに参加し、国際的に活動していきます。
1988年の巡回展「暗闇のレッスン」は、ボルタンスキーの転機といえます。金属フレームに入った子どもの写真と白熱電球による〈モニュメント〉シリーズや、影絵の手法を利用した《影》など、今日のボルタンスキーを代表する作品が登場しました。
ボルタンスキーの作品は、しばしば「死」が感じられます。新聞の死亡告知欄に掲載された人の写真を集めた作品のほか、展覧会の会期中に電球が順に消え、最後には真っ暗になる作品《黄昏》も、死に向かっての時間を意味しています。
ユダヤ系という出自もあり、どうしてもその表現はホロコーストと結び付けたくなりますが、必ずしも一致していません。前述の新聞の死亡写真も、戦争や死のイメージからは遠い、スイス人の写真です。
虐殺のような特別な出来事ではなく、誰にでも必ず訪れ、逃れようがない日常的な「死」。静かな表現の中から、漆黒の闇が迫ってくるようです。
ボルタンスキーは、展覧会の会場全体をインスタレーションとして捉えています。今回も、高い天井高も含め、国立新美術館の広い空間を見事に使いました。ダイナミックな場面転換も、展覧会の大きな見せ場です。
日本でボルタンスキーは以前から人気が高く、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」には第1回(2000年)から参加。近年も2016年に東京都庭園美術館で個展を開催し、2006年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。
今夏の六本木は、現代美術の大型展が両立しており、ほぼ同時期に森美術館で「塩田千春展:魂がふるえる」が開催(6/20~10/27)されます。現代美術好きには、暑い夏になりそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年6月11日 ]
※写真、映像はすべて「クリスチャン・ボルタンスキー ― Lifetime」展 2019年 国立新美術館展示風景