《兎と土筆》 柳々居辰斎 文化4年(1807) 摺物 10.1×13.0cm
柳々居辰斎「兎と土筆」すみだ北斎美術館蔵
本図は、北斎の弟子で洋風風景版画を描いていたことで知られる柳々居辰斎【りゅうりゅうきょしんさい】が描いた摺物です。森羅亭万象【しんらていまんぞう】(蘭学者の森島中良【ちゅうりょう】)による狂歌「磨出【みがきだ】すはつ日や玉の卯の春に野辺のつくしも木賊【とくさ】かとみる」に合わせて、赤目の茶毛と白毛の兎と土筆が描かれています。
摺物とは「冨嶽三十六景」のような錦絵と異なり、販売目的で制作されたものではなく、画中に記された狂歌の作者による私的な注文で制作されたプライベートな版画です。本図は摺物の中でも絵暦【えごよみ】と呼ばれるもので、現在の太陽暦と違って江戸時代の陰暦では毎年変わる大の月(1か月が30日の月)、小の月(1か月が29日の月)が何月であったかを絵の中にひそませています。つまり、12本ある土筆の長さが異なっていますが、右から長いものが1、2、3、5、8、11、12番目、短いものが4、6、7、9、10番目と描き分けられており、長いものが大の月、短いものが小の月を表わします。この組み合わせは文化4年にあたるので、この年に制作されたことがわかります。摺物は新年の配り物として使用されており、当時の人々は謎解きをするかのように楽しんでいたと思われます。
文化4年は丁卯【ひのとう】のうさぎ年のため兎の絵が描かれ、狂歌にも「卯の春」と詠み込まれています。
担当者からのコメント
今から216年前、18回前のうさぎ年の作品です。今と変わらず、新年に干支を意識しているのは江戸時代の人も変わらなかった様子が伝わります。