フィンランドで最も愛されている芸術家のひとり、シャルフベック。3歳の時の事故で左足が不自由になり学校に通えず、自宅で家庭教師に学びました。そして、彼女の才能にいち早く気づいたのも、この家庭教師でした。
11歳で素描学校への入学が許され、奨学金を得て18歳でパリへ。最先端の美術に触れる事で、芸術家として大きく飛躍していきます。
北欧の清潔感をイメージし、会場はあえて白い壁のシンプルな構成です
シャルフベックが脚光を浴びるきっかけとなったのが、展覧会のメインビジュアルでもある《快復期》。快復の兆しを示している病気の幼い少女を描いた、1888年の作品です。
パリのサロンで高い評価を受けたこの作品はフィンランド芸術協会に買い上げられ、翌年のパリ万博では銅メダルを獲得。シャルフベックは20代にして、国際的な名声を得たのです。
ただ、プライベートでは、3年前に婚約を破棄されるという不幸があったシャルフベック。快復する少女の姿に、自らの境遇を重ね合わせているという解釈もあります。
ヘレン・シャルフベック《快復期》
多くの肖像画を描いたシャルフベック。特に自画像は、生涯にわたって描き続けました。
10代でも達者な素描の自画像を描いていますが、パリに渡ると流行のスタイルを吸収。印象派風の自画像も出展されています。
1914年、フィンランド芸術協会は自国の美術界を代表する9人を選出。シャルフベックは、女性としてただ一人選ばれました。
理事会室に飾る自画像を依頼されたシャルフベックは、黒い背景に自らの名前を擦れた文字で記した自画像を制作。まだ50代半ばでしたが、自らの墓石とみなして描いた作品です。
第3章「肖像画と自画像」
病気がちだったシャルフベックは、療養もかねてヘルシンキ近郊で閉じこもるように生活しましたが、制作意欲は衰えませんでした。
母親を亡くして独り身になった後は、画商の薦めもあり、自分の初期作を再解釈した作品を制作。
また、再評価が進みつつあったスペインの巨匠エル・グレコから刺激を受け、エル・グレコの作品をキュビスム風に描いた作品も描いています。
第4章「自作の再解釈とエル・グレコの発見」
晩年になると、自画像には死のイメージが強くなります。衰えてゆく自らを美化せずに描いた作品は、直視するのが辛く感じるほどです。
50代で19歳年下の画家に恋愛感情を抱きますが、これも成就しなかったシャルフベック。1946年にホテルの一室で死去。83歳、生涯独身でした。
展覧会は全国巡回。東京展の後は仙台(宮城県美術館:8/6~10/12)、広島(奥田元宋・小由女美術館:10/30~2016年 1/3)、葉山(神奈川県立近代美術館 葉山:2016年 1/10~3/27)と続きます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年6月1日 ]
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