奇想の系譜に連なる歌川国芳(1798-1861)、傑作「東海道五十三次」を描いた歌川広重(1797-1858)。今では両者に比べると分が悪い印象の国貞ですが、当時の歌川派の頭領はまぎれもなく国貞。師匠の名を継いで三代豊国になったように、人気・実力ともに傑出した存在でした。
売れっ子だった国貞は、手掛けた作品も膨大。故に研究が進まず、超が付く人気絵師だったにも関わらず、総体的な地位が低くなりつつありました。
本年は国貞が没してからちょうど150年のメモリアルイヤー。作品の中から優品のみをセレクトし、浮世絵界のスーパースターに再びスポットライトを当てるべく企画された展覧会です。
まずは畳のエリアで肉筆浮世絵の紹介から(国貞は肉筆の優品も多くあります)。構成はほぼ年代順で、デビュー時から半世紀以上に及ぶ画業を振り返ります。
会場には、展覧会の準備中に発見された武者絵《熊谷次郎直実》も。国貞の武者絵としては最初期の部類に入る貴重な作品です(前期展示。後期は別の新発見作品《梶原源太景季》が展示されます)。
会場入口から 動画最後が新発見の武者絵《熊谷次郎直実》22歳でデビューして間もなく頭角を現した国貞。29歳の頃には、既に師匠である初代豊国に匹敵する人気を得ていました。
文政期(1818-1830)には人気浮世絵師としての地位を確立。浮世絵の王道である役者絵と美人画で数多くのシリーズを手掛け、精力的に制作を続けました。
2階会場本展で東京初公開となるのが、美人画の「高橋博信コレクション」。北海道立近代美術館が所蔵し、保存状態が良好な作品が多く含まれています。
美人画シリーズ「江戸美人尽」も、今回が約30年ぶりの展示となる珍しい作品。42図からなる下絵集ですが、何らかの理由で出版されませんでした。台紙に下絵と版下が並べて貼られ、各所に指示書きや紙を貼った直しの跡も見られる作品で、幕末の浮世絵制作の過程を考える上でも貴重な作例です。
「高橋博信コレクション」と「江戸美人尽」「江戸文化の全てを描いた」と言われるほど何でも描いた国貞ですが、画面枠に注目して何点か紹介します。ユニークな形状は、国貞の遊び心とともに高いデザイン性が感じられます。
例えば「今風化粧鏡」は、鏡の中に映った女性を描いたシリーズ。「当世押絵羽子板」では、羽子板の形に役者の大首絵を配しています。さらに、草紙を開いた形の画面枠に役者の半身を描くという凝った揃物も紹介されています。
画面枠がユニークな作品の数々会場地下は全盛期から晩年の作品。国貞を追いかけていた国芳や広重も後年には肩を並べ、1853(嘉永6)年には「豊国にかほ(似顔=人物画) 国芳むしや(武者) 広重めいしよ(名所)」と称されるまでになります。
二人は国貞より年少でしたが、先に死去。国貞と深い親交があった五代目市川海老蔵(1791-1859)にも先立たれますが、国貞は孤高の中でも晩年まで旺盛に創作を続けていきました。
明治まであと4年となった1864年に79歳で死去。江戸の浮世絵の終焉に相応しい生涯といえるかもしれません。
地下会場「国貞抜きで19世紀の浮世絵を語ることはできない」とは、本展を監修した新藤茂先生(東京工芸大学大学院講師)。前後期で多くの作品が入れ替わりますので、半券提示で200円引のリピーター割引を使って、その全貌をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月30日 ]■没後150年記念 歌川国貞 に関するツイート