12世紀ごろ、中国の宋から伝わった点茶(抹茶)は、禅宗の寺院や武家の間で広まりました。中国から伝来した一流の美術品、「唐物」をあつめ、室内を飾り、それを用いて茶を喫することは自身の権力を示したのです。
「東山御物」と呼ばれる足利将軍家のコレクションは一つの指針となり、その後の価値観にも大きく影響しました。その中でも際立って有名なものが曜変天目。男性の両手におさまりそうな小ぶりのお碗ですが、宇宙の銀河のように輝くその姿は圧巻です。
第1章「足利将軍家の茶湯─唐物荘厳と唐物数寄」国宝 《油滴天目》大阪市立東洋陶磁美術館蔵(通期展示)、国宝《曜変天目 稲葉天目》静嘉堂文庫美術館蔵(~5/7)15世紀末ごろ、力をつけてきた町衆たちによって茶の湯は「侘茶(わびちゃ)」へ展開します。侘茶では、豪華な唐物だけではなく、日常の道具のなかから、好みに合ったものを取り合わせて茶の湯を楽しみました。これにより、高麗物、和物への価値観が高まるようになります。
第2章「佗茶の誕生─心にかなうもの」茶の湯、といえば千利休を思い浮かべる方も多いのでは。侘茶は利休によって大成、進化し、今の茶道の祖となりました。利休は抜群のセンスで国産の道具を取り合せ、さらには道具をデザイン、職人に生産させるという、優れたプロデューサーとして活躍しました。
豊臣秀吉に仕えた利休は最後秀吉の不興を買い、切腹することになりますが、そのきっかけとなったと言われる書状も展示されています。昨年の大河ドラマ「真田丸」をご覧になっていた方はピンとくるかもしれません。
第3章「佗茶の大成─千利休とその時代」重要文化財《千利休像 伝長谷川等伯筆 古渓宗陳賛》大阪・正木美術館蔵(~5/28)江戸時代初期においては小堀遠州が室町時代以来の武家の茶を再興しました。遠州は古歌にちなんだ銘をつけ、道具を格調高いものにします。その風潮は「きれいさび」と呼ばれ、公家や武家に広く受け入れられます。
遠州から100年以上くだり、茶の湯が形骸化した江戸後期には松平不昧が登場。遠州に習って古典をたどり、茶湯道具の研究と蒐集に力を注ぎ、茶の湯を再興しました。
第4章「古典復興─小堀遠州と松平不昧の茶─」重要文化財《古瀬戸茶入 銘 在中庵》大阪・藤田美術館幕末明治の動乱期には、旧体制の崩壊により寺院や大名家に伝わる茶の湯の名品が世の中に放出される事態に。優れた鑑識眼をもった実業家たちは、散逸する名品を収集し、独自の美学で茶の湯の価値観を創造しました。
展覧会では2週ごとに藤田香雪(大阪の財閥藤田組の祖)、益田鈍翁(三井物産初代社長)、平瀬露香(大阪金融界の重鎮)、原三溪(横浜の実業家)のコレクションを取り上げます。
茶の湯の美術を通史でたどる展覧会は見どころがたっぷり。茶の湯には全く縁のない筆者ですが、不思議と惹かれるお気に入りの茶道具に巡り合いました。肩の力を抜いて、空前絶後の名茶会を覗き見して楽しむような気持ちでお出かけください。
各流派による呈茶席や、東博の庭園内の小堀遠州ゆかりの「転合庵」特別公開など、展示室の他にもお楽しみいただけるプログラムが充実しています。
展示替えも頻繁ですので、
公式HPをご確認いただき、お出かけください。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2017年4月10日 ]■茶の湯 に関するツイート