明治時代から広まった万年筆。当初は舶来品が主流で、丸善は英国デ・ラ・ルー社のオノト、三越は米国のウォーターマン社の製品を積極的に輸入し、筆記具の近代化が進みました。
明治の中頃からは、国産化も始まります。スワン、オリバー、サンエスなどは、一部の部品を輸入して製造を開始。後にほとんどの部品が国産となりました。
現在の「国産三社」と称されるのはセーラー、パイロット、プラチナ。それぞれ1911(明治44)年、1915(大正4)年、1919(大正8)年の創業です。
国産の万年筆には、さまざまな技術が盛り込まれています。インキ止め、カートリッジ式、キャップレスはいずれも日本発のアイデア。四季の温湿度差が大きい日本は、毛細管現象を利用する万年筆にとって良い環境ではありませんが、技術力で補っていくのはさすがです。
第1章「日本の万年筆とその技」「日本ならではの万年筆」として特筆されるのが「蒔絵万年筆」。欧米で作られていた金銀細工による装飾万年筆に対抗するため、伝統の工芸技術である蒔絵に白羽の矢が立ちました。
並木製作所(現パイロット)には後に人間国宝となる松田権六も入社して、蒔絵の技術とデザインを指導。国内外で絶大な人気を博した名作が次々に生まれました。
展覧会では蒔絵万年筆を拡大・縮小・回転させて見る事ができるデジタルコンテンツも用意されました。58本の蒔絵万年筆を自作の回転台に1本づつ載せ、5度づつ回しながら撮影。デジタル画像をつなぎあわせて作ったという力作です。
蒔絵万年筆を回転させて見る事ができるデジタルコンテンツ万年筆を作る側の視点に立った1章に対し、2章は使う側からの考察です。
近代化が進む中で毛筆は万年筆に置き換えられ、戸籍をはじめ国勢調査など公的な書類は万年筆が用いられるようになりました。もちろん外交文書も万年筆。日米安保条約も、吉田茂が万年筆でサインしています。
万年筆は携行に優れた筆記用具であるだけに、戦地でも多く用いられました。個人が所有しているため、軸に所有者の名前が刻まれる事も。そのため、万年筆が戦死者の身元特定に繋がる例もあります。
ある年代以上に人にとって、万年筆のイメージといえば「大人の筆記具」。進学や就職の祝いとして、万年筆が贈られる事もありました。学年別雑誌(中学一年生)の年間購読を予約すると、万年筆をプレゼント。広告には山口百恵や王貞治が使われています。
第2章「万年筆と二碗の近代」会場出口には、万年筆を体験できるコーナーもあります。「ペン先が上になるように持つ」など、極めて初歩的なアドバイスもありますが、確かに「万年筆で字を書く」は、今ではちょっとレアな体験かもしれません。
ちなみにこのコーナーに置いているアンケートの設問も、万年筆で書いたと思われる手書き文字でした(とても達筆です)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年3月7日 ]