朝倉文夫は1883(明治16)年生まれ。東京美術学校(現東京藝術大学)を首席で卒業し、翌年、25歳で第2回文部省美術展覧会(文展)に出品した「闇」がいきなり2等賞を受賞。新進気鋭の彫塑家として華々しくデビューしました。
朝倉彫塑館は、朝倉文夫のアトリエ兼住居です。朝倉を記念する施設として以前から公開されていましたが、2008年に国の名勝に指定されたことを受け、耐震補強を含めた保存修復工事に着手。4年半をかけて、朝倉最晩年の昭和30年代当時の建物・庭園の姿に復原されました。
館内に入ってすぐ左側にある、大きなアトリエ。床下には深さ7.3メートルの電動昇降制作台があり、今回の保存修復工事で実際に動かせるようになりました。朝倉彫塑館の建築の大きな特徴は、西洋建築と日本家屋が融合している事です。鉄筋コンクリートの打ちっぱなしであるアトリエ棟と、数寄屋造りの住居部分が違和感なく調和しています。
アトリエの奥に進むと、渡り廊下の左側には日本庭園「五典の水庭」が見えます。
朝倉はこの庭に仁・義・礼・智・信の五つの巨石を設置。自己反省の場として設計したとも伝えられています。
庭園は自然の湧水を利用しています。建物は3階建て(アトリエは3層吹き抜け)。純日本風の居室からは、日本庭園が見下ろせます。
3階の和室「朝陽の間(ちょうようのま)」は応接の場として使われた和室です。赤味を帯びた壁は、細かく砕かれた天然石の瑪瑙(めのう)が塗られており、保存修復工事で瑪瑙を回収・洗浄し、再度塗り上げられました。
2階から見下ろした日本庭園と、3階の和室「朝陽の間(ちょうようのま)」外部の通路には、豚の顔を象った噴水が。こちらも保存修復工事で、口から水が出るようになりました。
屋上には庭園が設けられています。朝倉がこの建物で彫塑塾を開いていた時は「園芸」が必修科目で、屋上で弟子が野菜を育てていました。
屋上で育てた野菜を、豚の噴水で洗っていたのでしょうか朝倉自身が設計・監督した
朝倉彫塑館は、大工や造園、銅板葺きなど、当代の名工が集まって技術の粋を結集して建てられました。いわば、館そのものが朝倉の作品ともいえる存在です。
一歩館内に入ると、とても東京とは思えないほどの落ち着いた佇まいですが、日暮里駅からわずか徒歩5分。リニューアルオープン記念は、朝倉文夫個人の蒐集作品を3期に分けて展示します(一般公開は2013年10月29日から)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年10月17日 ]