文豪森鴎外は、小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医など多方面で活躍しました。その中には、美術に関わる一面もありました。
明治17(1884)年から明治21(1888)年、鴎外は陸軍衛生制度調査と軍陣衛生学研究のため、ドイツに留学します。ドイツでは、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンの各地に滞在し学びました。各地では、美術や音楽、演劇などの西洋芸術に出会い、これらが、鴎外の帰国後の幅広い活躍の礎となりました。
ドイツでは、人との出会いもありました。特に、ミュンヘンでの画家原田直次郎との出会いは、鴎外が美術に興味をもつきっかけとなりました。原田との親密な交流は、お互いの青春を彩る大切なものとなりました。帰国後の鴎外の文業に対して行った原田の数多くの挿画、デビュー小説ドイツ三部作の中に色濃く残る原田と過ごしたドイツの日々は、鴎外の原田に対する思いの深さを示しています。そして、原田の代表作である大作《騎龍観音》に対する批判に対して鴎外が執筆した「外山正一氏の画論を駁す」は、医学士鴎外を美学の大家として印象付けるものとなりました。原田が亡くなったとき、鴎外は遠い小倉の地に赴任中でしたが、その死を悼む文章を新聞に寄せています。それは、血気盛んな鴎外の前半期の活躍、青春時代の終焉とも重なります。
明治42(1909)年に開催された原田没後10年記念の遺作展では、鴎外は発起人として奔走しました。翌年に発行された、この遺作展の出品作品を収録した『原田先生記念帖』は、鴎外と原田の友情の結晶ともいえます。
本年は、原田直次郎の生誕150年にあたります。鴎外と原田の交流と友情を軸に鴎外の旺盛な美術活動をご覧ください。
《ボランティアによる館内案内スタート》
本展覧会より、土日祝日の13時と15時の2回、ボランティアによる館内案内を行っております。是非ご参加ください。
開催日時:土日、祝日(いずれも13時、15時の2回)
参加希望の方は観覧券を購入の上、1階エントランスにお集まりください。