大分は、田能村竹田の出現により豊後南画といわれるほど南画が流行し江戸末期から昭和初期の長きに亘り画人を輩出しました。その中でも臼杵は竹田の妻が臼杵の出だったことや高足の一人・帆足杏雨が臼杵藩の庄屋の生まれだったこともあり、児玉蘆香・加納雨篷・白須心華・甲斐虎山・藤米岳など多くの画人が生まれました。臼杵の文化を語るのに南画は切ってもきれない大切な要素です。
田能村直入は、8歳から竹田に師事。竹田没後は京都に移居し、京坂で活躍。京都博覧会開設や京都府画学校の設立にも尽力、南画学校を設立するなど、南画の向上にも寄与、長く京都南画壇の重鎮として君臨します。
直入が明治40年94歳で京都に没して2007年で百年になりました。この百年で南画をとりまく環境は大きく変わりました。豊後南画とまでいわれた大分でさえ、その鑑賞の愛好家は少数に過ぎず、展羅会に若者の姿はほとんど見られなくなりました。
地域を代表した文化であった南画の素晴らしさをいつまでも皆様にご紹介するひとつの機会として、この.節目を記念して【田能村直入展】を行います。展示品は約25点です。