「西の松園、東の清方」と並び称される美人画の巨匠ですが、関西では松園さんほどには知られておらず、京都展はオーソドックスに制作年順の4章構成。それがちょうど清方の居住地の変遷と重なり、時代の変わり目ともなっている。展覧会のメインはもちろん「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」の三部作。清方の作品には、彼が育った家庭環境と江戸情緒が残る東京下町が大きく影響して反映している。東京展では担当研究員がTVの美術番組や美術雑誌の特集などで「清方を美人画家と呼ぶのはやめにして、生活を描く画家とよんではどうか」と盛んに説明されていました。清方自身もそう望んでいたかもしれないが、展覧会場には圧倒的に女性像が多く、清方に描いてほしいと注文があったのも美人画であったでしょう。清方が幼き頃に目にした江戸情緒の残る東京下町の風景や風俗は、関東大震災で灰塵と帰し、元号も昭和に代わる。清方少年の目に映った景色や風俗を大画面の美人画や清方の言うところの「卓上芸術」という小画面の作品に細やかに丁寧に描き残しています。美術史家山下裕二先生は「松園と清方は最後の筆デイティヴ」清方の筆の冴えを隅々まで堪能したい。