日本でも高い知名度があるマグリット。没した4年後の1971年に東京と京都で開催されたのを皮切りに82年、88年、94年、2002年と、ほぼ10年に1度のペースで回顧展が開催されています。
今回は2009年にマグリット美術館(ベルギー王立美術館の別館)が開館してから初めての展覧会。同館はもちろん国内外の美術館やコレクターが協力し、約130点を紹介する大規模な展覧会になりました。
会場は年代順に5章構成。赤いカーテンに円筒形青空のエントランスも、マグリットの《ある聖人の回想》がモチーフです。作品は会場に展示されていますので、探してみてください。
1章「初期作品」、2章「シュルレアリスム」ベルギー王立アカデミーで絵を学んだマグリット。生計を立てるために商業デザインの仕事をしていましたが、デ・キリコやマックス・エルンストの作品に接してから、シュルレアリスムの世界にのめりこんでいきます。
シュルレアリスムの中心であったパリに移住するも、グループを率いるアンドレ・ブルトンと衝突。再びブリュッセルに戻りました。
ただ、大きく変わる環境の中で、この時期は自身のスタイルが固まっていった時期でもありました。窓、靴、山、家、女性の顔などモチーフは日常的ですが、描かれた絵画は極めて不可思議。独自のマグリット・ワールドを推し進めていきます。
3章「最初の達成」戦時中にナチス・ドイツに占領されたブリュッセルで制作を続けたマグリットの絵は、明るい画風の「ルノワールの時代」に変化します。これはナチスの恐怖に対する抵抗を現したものです。
48年には初個展をパリで開催しました。この時はまたしても画風を大きく変えて、荒々しい表現主義的に。フォーヴ(野獣派)をもじってヴァーシュ(雌牛)と呼びましたが、作品はひとつも売れず、展覧会は厳しく批判されました。
4章「戦時と戦後」50代になったマグリットは、戦前のスタイルに回帰します。不安感やエロティシズムの要素こそ少なくなったものの、世界観はスケールを増し、その画業は新しい次元に進んでいきました。
この頃から、アメリカをはじめ世界中で評価が高まったマグリット。ようやく晩年になって、経済的にも安定する事ができました。
1967年、マグリットは膵臓がんのため68歳で死去。その世界観はポップ・アートやコンセプチュアル・アートなど、新しい時代の美術にも大きな影響を与えています。
5章「回帰」今回の会場には珍しく作品解説パネルがなく、代わりにマグリットの言葉が各所で紹介されています(図録には1点づつの詳細な作品解説があります)。
解説が無い会場で気付くのが「特定の作品に発生する人だかり」が少ない事。美術展にもかかわらず、人だかりは「絵を見ている」のではなく「パネルを読んでいる」ことが多い事に、今さらながら気付きました。見る側の感性が試される展覧会とも言えそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年3月24日 ]