江戸時代中期に活躍した尾形光琳(1658~1716)。根津美術館では、毎年この時期の恒例となっている、光琳による国宝《燕子花図屏風》を公開中です。会場では光琳が生きた約60年間に焦点をあてて、絵画の歴史を切り取っていきます。
根津美術館「「国宝・燕子花図屏風」会場入口
第1部「伝統画派の活躍」では17世紀後半の伝統的な絵画の流派を紹介します。光琳が生まれて4年後、幕府の御用を務めた狩野派の狩野探幽は、絵師として最高の位である法印に叙されます。
元禄元年(1661年)に制作された《両帝図屏風》では、黄帝と舜帝という中国の伝説的な皇帝2人を格調高く華麗な画面で描いています。
《両帝図屏風》 狩野探幽筆 江戸時代 寛文元年(1661)
やまと絵の流派を継ぐ土佐光起は、光琳が生まれる4年前に宮廷の絵所預に復帰。光源氏と紫の上が庭で雪転がしをする童女たちを眺めている、源氏物語「朝顔」巻の名場面を描いた作品《源氏物語朝顔図》は、土佐光起が晩年に描いたものとされています。
(左から)《粟鶉図》 土佐光成筆 江戸時代 17~18世紀 / 《源氏物語朝顔図》 土佐光起筆 江戸時代 17世紀
第2部は「光琳芸術の誕生」。30代半ばで画家を志した光琳は、まず宮廷周辺に活動の場を求めます。当時宮廷内で人気を博していた草花図を学びながら、44~45歳の頃に描かれたのが国宝《燕子花図屏風》です。
宮廷を活躍の場にする一方で、富裕層を新たな顧客としていた光琳。総金地に高価な群青をふんだんに用いることができたのも、裕福な人物からの注文によって制作されたためと考えられています。
国宝 《燕子花図屏風》 尾形光琳筆 江戸時代 18世紀
流行りの草花図は、喜多川相説の《四季草花図屏風》でも登場します。墨を用いて斬新な画面に、草木を並列させた左隻と朝顔の垣根を斜めに配した右隻の構図は、「燕子花図屏風」にも通じる作品です。
《四季草花図屏風》 喜多川相説 江戸時代 17世紀
第3部「元禄美術の多様性」では、目にも華やかな屛風絵が描かれる一方で描かれ続けた、モノクロームの美術を紹介。
岩陰に咲く蘭と左端に漢詩が書かれた角皿は、光琳の弟・乾山のやきもの。円山応挙が「名手」と認めた画家であり、光琳の弟子にあたる渡辺始興が素信と名乗り絵付けをしたものです。
《銹絵蘭図角皿》 尾形乾山作 渡辺素信画・賛 江戸時代 18世紀
京都と大津を結ぶ街道で土産物として人気となった庶民的な絵画、大津絵も並んでいます。 2019年にパリで開催された「大津絵展」でも展示されたこの作品は、漢詩も書かれた12枚の大津絵を、簡素な屏風に仕立てられています。
《大津絵貼交屛風》 江戸時代 18世紀
光琳が生きた時代の名品を堪能した後は、庭園にも足を運んでみてはいかがでしょうか。四季移ろいを楽しむことができる庭園では、4月終わりから5月初旬にかけてカキツバタが見ごろです。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年4月14日 ]