モノトーンの緻密な線で描かれる不思議な世界観で人気を集めているアメリカの絵本作家、エドワード・ゴーリー(1925‒2000)を紹介する展覧会が、渋谷区立松濤美術館ではじまりました。
近年、日本でも『うろんな客』や『不幸な子供』などの絵本が紹介されたことで話題を呼んでいるゴーリー。展覧会は、ゴーリーの終の棲家でもあった記念館「ゴーリーハウス」で開催された展示内容を再構成したもので、約250点の作品を5章にわたり紹介していきます。
渋谷区立松濤美術館 会場入口
第Ⅰ章 「ゴーリーと子供」では、幼少期の制作物や子供をテーマにした作品を取り上げます。ゴーリーの作品には、幼児や子供が主人公として多く登場しますが、そのほとんどがハッピーエンドで落ち着くことはなく、悲惨な運命を辿っています。
そこには、何不自由のない20世紀のアメリカにおいて育った、感性豊かなゴーリーの幼少期が投影されているとも考えられています。
「エドワード・ゴーリーを巡る旅」会場風景
5歳の時に描いたひよこのドローイングや、13歳の頃に作ったとされる、様々なものを掴む骸骨のような手を描いた「魔の手」からは、早熟だったゴーリーの才能を感じることができます。
第Ⅰ章 「ゴーリーと子供」会場風景 《魔の手》 1930年代後半
ゴーリーは、自然界には存在しない不気味で不思議なキャラクターを生み出します。第Ⅱ章 「ゴーリーが描く不思議な生き物」では、黒い奇妙な生物が突然一家に現れる『うろんな客』を紹介。
一見すると恐ろしい半人半獣でありながら、どこか愛嬌のある姿の生き物たちは、ゴーリーの作品の大きな魅力のひとつです。
第Ⅱ章 「ゴーリーが描く不思議な生き物」 会場風景
読書家でもあり、年間1,000本もの映画の鑑賞や舞台鑑賞など、様々な文化に惹かれていたゴーリー。第Ⅲ章 「ゴーリーと舞台芸術」では、ゴーリーと舞台美術や映画との関わりを紹介していきます。
日本未刊行の《具体例のある教訓》では、ゴーリーが関心を寄せたサイレント映画さながら、人が動く様子から時間の経過を感じさせる情景を見事に描いています。
第Ⅲ章 「ゴーリーと舞台芸術」 《具体例のある教訓》 1957年
舞台美術や衣装にも興味を抱いていたゴーリーは、20代後半になるとニューヨーク・シティ・バレエの公演に通いつめるほど、振付師のジョージ・バランシンを敬愛します。バレエを主題とした作品も作り、バレエ雑誌の表紙やニューヨーク・シティ・バレエのロゴのほかピンやグッズのデザインも担当しました。
第Ⅲ章 「ゴーリーと舞台芸術」 《薄紫のレオタード あるいは、年がら年中ニューヨーク・シティ・バレエを観に行くこと》 1970年頃
1970年代にはミュージカル『ドラキュラ』の総合デザイン監督として、セットと衣裳デザインを担当。1978年の「トニー賞」の衣装デザイン賞を受賞します。
ゴーリーのデザインは、ファッションブランドやアーティストにも影響を与え、日本でも『ドラキュラ』をモチーフにしたコレクションが発表されました。
第Ⅲ章 「ゴーリーと舞台芸術」 《ドラキュラ・トイシアター》 1979年頃
第Ⅲ章 「ゴーリーと舞台芸術」 UNDERCOVER 無題(2020年春夏コレクション)
おおまかなスケッチをおこなった後、細いペン先を用いて出版時のサイズで制作を行っていたゴーリー。タイトルや謝辞、テキストの文字まで繊細な筆致で書かれています。第Ⅳ章 「ゴーリーの本づくり」では、作業の裏側を垣間見ることのできるペンや画材などの道具も展示されています。
第Ⅳ章 「ゴーリーの本づくり」 会場風景
トニー賞を受賞した後、ニューヨークからケープコッドへ移り住んだゴーリーは、新たな取り組みとして、地元のアーティストたちから版画を習います。晩年のゴーリーは象を主題に、自身の内面を託すような版画制作を行いました。
第Ⅴ章 「ケープコッドのコミュニティと象」 会場風景
日本びいきで源氏物語も好んでいたと言われるゴーリー。絵本『薄紫のレオタード あるいは、年がら年中ニューヨーク・シティバレエを観に行くこと』は今年、日本語版が出版されます。
絵本を手にしたことのある方も初めて知った方も、ゴーリーの作品の魅力を会場で確かめてみてはいかがでしょうか。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年4月7日 ]
©2022 The Edward Gorey Charitable Trust