19世紀末から20世紀前半のフランスで独自の世界を築いた画家、ジョルジュ・ルオー(1871-1958)。宗教的主題や、晩年の輝くような色彩で描かれた油彩、デフォルメされた親しみやすい人物像などで、多くの人を魅了し続けています。
ルオーの作品約260点をコレクションし、世界で唯一その名を冠した「ルオー・ギャラリー」があるパナソニック汐留美術館で、大規模な回顧展が開催中です。
パナソニック汐留美術館「ジョルジュ・ルオー ― かたち、色、ハーモニー ―」展示風景
展覧会は第1章「国立美術学校時代の作品 ― 古典絵画の研究とサロンへの挑戦」から始まります。ルオーは1890年、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。ギュスターヴ・モローに師事し、1898年にモローが亡くなるまで自由で革新的な教育を受けました。
入口近くの《自画像》は、ルオーが手がけた最初の自画像です。光の使い方や明暗の表現には、ルオーが敬愛したレンブラントからの影響が見てとれます。
《自画像》1895年 ジョルジュ・ルオー財団 / 《ウォルスキ王トゥルスの館のコリオラヌス》のための習作 1894年 パナソニック汐留美術館
第2章は「裸婦と水浴図 ― 独自のスタイルを追い求めて」。モローの死後、ルオーは同時代の社会に題材を求めるようになり、画風も大きく変わります。
1907年に行われたセザンヌの回顧展を見たルオーは感銘を受け、その影響から水浴図に取り組みました。《水浴の女たち(構成〈表〉)》もそのひとつで、4人の裸婦によるリズミカルな構成が印象的です。
(右)《水浴の女たち(構成)〈表〉》1910年頃 出光美術館
第3章は「サーカスと裁判官 ― 装飾的コンポジションの探求」。ルオーが生涯繰り返し追求した主題が、子供の頃に見たサーカスの人々と、1906年頃に足繁く通った裁判所で見た裁判官です。
1900年代初期には、これらをモチーフに人間の残酷な部分を強調した作品を描きました。1948年の《二人組(二兄弟)》になると、描かれた道化師は優しく穏やかな顔つきに変化していきました。
(左から)《グレゴワール》1953-56年 ポーラ美術館 / 《二人組(二兄弟)》1948年 ポンピドゥー・センター、パリ/国立近代美術館
第4章は「二つの戦争 ― 人間の苦悩と希望」。ルオーは2度の世界大戦を経験しています。その悲劇や不条理は、ルオーに大きな衝撃と苦悩を与えたことが、作品からも見て取れます。
首を吊られた男と炎上する町の風景を描いた《ホモ・ホミニ・ルプス(人は人にとりて狼なり)》は、第二次大戦期の作品です。正面性を強調した構図などにより、人物には崇高さも感じさせます。
(左から)《ホモ・ホミニ・ルプス(人は人にとりて狼なり)》1944-48年 ポンピドゥー・センター、パリ/国立近代美術館 / 《深き淵より》1949年 ポンピドゥー・センター、パリ/国立近代美術館
第5章は「旅路の果て ― 装飾的コンポジションへの到達」。第二次大戦後もルオーは旺盛に制作に取り組み、最後の10年間は、色彩はさらに輝きを増していきました。
《かわいい魔術使いの女》も、明るい色調の作品です。人物上方の半円アーチと各モティーフの輪郭線が呼応し、装飾的な画面を生み出しています。
(左から)《受難(エッケ・ホモ)》1947-49年 ポンピドゥー・センター、パリ/国立近代美術館 / 《かわいい魔術使いの女》1949年 ポンピドゥー・センター、パリ/国立近代美術館
展覧会は、パナソニック汐留美術館の開館20周年を記念して開催されるもの。美術館内のルオー・ギャラリーでは常設でルオーの作品を見る事ができますが、ルオーその人に焦点を当てた本格的な回顧展は、意外にも開館記念展以来となります。充実の大規模展をお見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年4月7日 ]