新型コロナウイルスの登場により、私たちの生活や心境は大きく変化しました。閉塞感に満ちた社会が続く中、心身ともに健康な「ウェルビーイング」であることは、今まで以上に重要視されています。
自然と人間、個人と社会、家族、繰り返される日常、精神世界、生と死など、生や実存に結びつく現代アート作品を紹介する展覧会が、森美術館で開催中です。
森美術館「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」会場入口
会場の冒頭は、ヴォルフガング・ライプの作品から。黄色い粉は、ライプが住むドイツ南部の小さな村で集められた、ヘーゼルナッツなどの花粉です。
花粉は一年で小さなガラス瓶半分から1本程度しか集まりませんが、 小さな粉の中には繁殖のための遺伝子情報が凝縮されています。
ライプは医学を学んだ後、1974年に芸術家の道に進みました。西洋医学が肉体だけを扱うのに対し、精神世界や包括的な世界観、不可視のエネルギーなどに強い関心をもっていたことが、転身の背景にあります。
ヴォルフガング・ライプ(1950 ドイツ生まれ)
ヴォルフガング・ライプ《ヘーゼルナッツの花粉》2015-2018年 Courtesy: ケンジタキギャラリー(名古屋、東京)
小泉明郎の作品は「催眠」をテーマにした新作の映像インスタレーションです。
催眠術師と暗示をかけられる被験者の声が響く会場には、衣服を纏ったロボット・アームを展示。壁面には暗示により感情を操作されながら、セリフを言い続ける映像が映ります。
社会にあふれるさまざまな言葉には、必ず思考や意図が込められています。私たちはそれを意識していないかもしれませんが、行動にはさまざまな変化がもたらされています。
小泉明郎(1976 群馬県生まれ)
小泉明郎《グッド・マシーン バッド・マシーン》2022年
壊れたものや捨てられたものを「なおす」という行為で、作品を制作している青野文昭。
展示されているのは、仙台で生まれ育った青野が、被災者として経験した2011年の東日本大震災が大きな影響を与えた作品です。
奥の空間は、仙台の歴史や青野自身の幼少期の体験や記憶が渾然一体となって存在する 「どこか別の世界」でもあります。
青野文昭(1968 宮城県生まれ)
青野文昭《八木山橋》(部分)2019年
《僕の町にあったシンデン─八木山超路山神社の復元から2000~2019》2019年
不思議なかたちの立体作品は、雑誌や新聞の折り込みチラシを木工用ボンドで貼り重ねたもの。作品の断面からは、制作に要した時間と、高い集中力の蓄積を感じることができます。
金崎将司はアール・ブリュットの枠組みで紹介される事が多い作家ですが、本展ではエネルギッシュな作品そのものに注目して取り上げられています。
金崎将司(1990 東京都生まれ)
金崎将司《山びこ》2014年
モンティエン・ブンマーは、タイの高名な僧との出会いから、呼吸によって自己の内面を高める手法を実践しています。出品作《自然の呼吸:アロカヤサラ》も、鑑賞者に呼吸を促す作品です。
金属製の箱には、タイの伝統医学で用いられる薬草が入っています。作品に近づくとほのかに香り、内部で深い呼吸を繰り返すと、感覚が研ぎ澄まされていくようです。
モンティエン・ブンマー(1953-2000 バンコク生まれ)
モンティエン・ブンマー《自然の呼吸:アロカヤサヤ》
最後は、とても美しい作品。作家のツァイ・チャウエイは中国西部の仏教遺跡である莫高窟やモンゴル、日本の高野山などを訪れてリサーチし、作品には密教の伝統が取り入れられています。
壁面の作品「5人の空のダンサー」シリーズは、中央アジアからシルクロードを経てアジアに広がった天然顔料を用いて、チベット仏教の女神である、5人の智恵のダーキニーを表現。
《子宮とダイヤモンド》は鏡でつくられた曼荼羅で、金剛界をダイヤモンド、胎蔵界をガラスの彫刻で表現しています。鏡面には壁面の作品とともに鑑賞者も映り込み、曼荼羅があらわしている宇宙全体を示唆しています。
ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)(1980 台北生まれ)
ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)展示風景
現代アートは素材やスケール感などが鑑賞のポイントになりますが、本展もそのような作品が多い展覧会です。
新型コロナウイルスで、美術館へ行くことも以前とは違う心構えが必要ですが、やはりアート鑑賞はリアルにまさるものはないと、改めて実感させられるような展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年6月28日 ]