20世紀後半のフランスを代表する具象画家のベルナール・ビュフェ。「時代」をキーワードに静岡県・ビュフェ美術館所蔵の約80作品を順を追って紹介していきます。
「ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代」入口
ナチス・ドイツの占領下のパリで育ったビュフェは、19歳の若さで初個展を開催。地味な色彩と細く鋭い線による肉付きで描かれた作品は、若手作家のなかでも傑出していました。2年後の1948年には若手作家の登竜門「批評家賞」を受賞し、一躍脚光を浴びます。
「ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代」会場風景
1950年になるとパリから南仏で生活をはじめ、風景画を数多く描きます。作品には、戦争後の不安や虚無感から解放され、穏やかな色調と明快な線が現れます。画廊と契約し、毎年開催した個展では多様な主題で大型作品も制作するようになりました。
(左から)《サーカス:トロンボーンとピエロ》1955年 / 《サーカス:曲芸師》1955年
1958年、30歳の時にパリで開催した個展では、10万人が押し寄せるほどの反響があり、多忙を極めていきます。
また、同年にシャンソン歌手・アナベルと結婚。彼女をモデルに数多くの作品を手掛けます。その年を境に、鮮やかな色彩で絵具を厚塗りし、力強い輪郭線で人物を描くようになります。湧き上がる感情も描きだしていく傾向は、賛否両論の嵐も高まりましたが、ビュフェは一心に筆をとり作品を描き続けました。
(左から)《カルメン》1962年 / 《ピエロの顔》1961年 / 《夜会服のアナベル》1959年
作品のモチーフは、人物だけでなく植物や昆虫、動物にもなります。幼い頃、勉強も運動も苦手だったビュフェは、蝶やトンボをいくつも描き、それが作家への道にも繋がったといえます。1960年代になると、昆虫が標本されているかのように画面全体に生物を描くようにもなりました。
「ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代」会場風景
ビュフェの20年間の画業が特に公に認められたのが1970年代。1973年には、世界唯一のベルナール・ビュフェ美術館が静岡県に開館します。ビュフェは1980年に初めて来館して以来、度々来日し美術館を堪能しました。
その一方、私生活では外界との接触を避け、アトリエに閉じこもり風景画を描くようになります。これまでの表現とは全く異なる写実的な田園風景を制作し始めます。
《シストロンの岩山》1993年 / 《カランク(入り江)》1993年
その後、パーキンソン病を発症。体力が衰え、心身が衰弱していく中で「死」シリーズを完成させます。「絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら生きていけないでしょう」という言葉を証明するかのように、1999年10月4日に自身で命を絶ちました。
(左から) 《ドン・キホーテ 鳥と洞穴》1988年 / 《自画像》1981年
戦後、社会の評価を様々に浴びながらも、最期までキャンパスに向かい続けたビュフェ。作品は様々に変化しますが、そのどの時代にもビュフェのストイックさが強く感じられる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子、古川 幹夫 / 2020年11月20日 ]