本展は、偉大な兄の陰に隠れていた弟たちにもスポットを当てて3兄弟の画業を紹介する企画展。ただ、長幼の序もありますので、やはり長兄の探幽からご紹介しましょう。
狩野永徳の再来ともいわれた探幽。11歳で徳川家康に拝謁、16歳で徳川幕府に召し抱えられた、早熟の天才画家です。
桃山時代の狩野派は、時の権力者の威光を意識した豪壮な画風を得意にしていましたが、探幽は余白を大胆に活かし、瀟洒淡麗な独自の世界をつくり上げました。新しい時代が求める絵画を敏感に察知した、先進的な芸術家といえるでしょう。
狩野探幽《富士山図》(板橋区立美術館)尚信は探幽の5歳下です。探幽が別家を立てていたため、父・孝信の家督を継いだのは尚信でした。
見事な余白の活かし方は兄の探幽ゆずりですが、さらに軽快な趣き。次男ならではの伸び伸びとした雰囲気が伝わってくるようです。
尚信は、残念ながら44歳で死去。岡倉天心も「長生すれば、兄に優りしならん」と、その早世を惜しんでいます。
狩野尚信《富士見西行・大原御幸図屏風》(板橋区立美術館)安信は探幽の11歳下。狩野宗家の貞信(3兄弟の従兄)が若くして死去したため、養子となって宗家を継いだのは安信でした。
安信は、狩野家の継承者である事を強く意識していました。著した画論『画道要訣』の冒頭で、その想いが綴られています。
曰く、絵画には天性の才能で描く“質画”と、学んで習得する“学画”がある。狩野家では、質画ではなく学画を第一にする、と。
個々の才能に頼るのではなく、技術を体系化して後進に伝える。安信の合理的な考えがあったからこそ、狩野派は400年の長きに渡って画壇に君臨し続けたのです。
狩野安信《竹虎図屏風》(浄福寺) / 狩野安信《人物花鳥画帖》(板橋区立美術館)会場には東京・池上本門寺にある3兄弟の位牌も展示されています。狩野家は熱心な法華宗の信徒で、江戸進出以降は池上本門寺を菩提寺にしていました。
狩野家の家紋で飾られた大きな位牌は、探幽のもの。尚信は、夫婦仲良く戒名を並べて合祀。安信の位牌は一番小ぶりですが、裏側に妻・子・舅など5霊を合わせて祀っています。
右から狩野探幽、尚信、安信の位牌(池上本門寺)探幽・尚信・安信の3兄弟に焦点をあてた企画は、本展が初めてです。会期の途中でほぼ全作品が展示・場面替え(前期は3月16日(日)まで、後期は3月18日(火)から)されるため、前期の有料チケット半券の提示で、後期は半額で観覧できます(割引の併用は不可)。三者を比べて、共通点とそれぞれの個性をお楽しみ下さい。
なお本展は2014年4月19日(土)~6月1日(日)、
群馬県立近代美術館に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年2月26日 ]