江戸の人々にとって輸送の大動脈であると同時に、名所としても愛されてきた隅田川。親しみ深さゆえに、さまざまな絵師が隅田川を描いてきました。
展覧会は、大規模改修工事のため長期休館中の東京都江戸東京博物館の館外展。館蔵品を中心に、隅田川にまつわる絵画作品を紹介する企画展が、千代田区立日比谷図書文化館で開催中です。
江戸東京博物館 館外展示「隅田川-江戸時代の都市風景」会場
展覧会はプロローグ「隅田川にまつわる物語」から。江戸の人々にとって、隅田川は伝説や物語の舞台としても馴染み深い川です。
平安時代の歌物語『伊勢物語』の第9段「東下り」では、在原業平が隅田川の「都鳥」の名を聞いて、京の都を思い出します。
(左から)狩野尚信《「武州州学十二景図巻」隅田長流》慶安元年(1648)東京都江戸東京博物館蔵 / 蹄斎北馬《「隅田川百花園図」隅田川に富士》(複製)19世紀前半頃
第1章は「隅田川を眺める」。江戸時代には高い建物がなかったこともあり、隅田川を描いた絵画は広々とした空間が特徴的です。
《江戸一目図屏風》では、遠景には富士山も見えます。さまざまな名所が四季の彩りとともに描かれています。
鍬形蕙斎《江戸一目図屏風》(複製)文化6年(1809)津山郷土博物館原所蔵
「影からくり絵」は、ユニークな作品です。紙の一部を切り抜き、その部分に薄い和紙を貼り、後ろから光を当てることで、画面の一部が明るく輝くようにみえます。
《隅田川風物図巻》は、裏に名所の名前を書いた小札が67枚貼られています。絵巻を紙芝居のように立てて置き、画面を巻きながら、裏の小札を読み上げつつ、日本橋川から隅田川を船で遊覧するかのように見せたものと思われます。
《隅田川風物図巻》(複製・影からくり絵)18世紀中頃 東京都江戸東京博物館蔵
第2章は「隅田川の風物詩」。江戸の人々は、四季の移り変わりに敏感。それぞれの季節に応じた行楽を楽しんでいました。隅田川周辺を描いた作品でも、季節感が現れているものが多く見られます。
隅田川の春といえば、花見です。江戸時代の寛文年間の頃には、庶民も花見を楽しむようになりました。
(左)歌川国貞(3代豊国)《隅田川東岸花見図》文化~天保頃(1804~43)東京都江戸東京博物館蔵
夏の隅田川は、もちろん花火です。両国では1733年以降、川開きである5月28日(旧暦)に花火が打ち上げられ、3カ月に渡って賑わいました。花火は江戸の夏を彩る最大の風物詩でした。
後に東西の橋詰に茶店や見世物が立ち並ぶようになり、江戸でも屈指の盛り場になりました。
(左から)歌川国虎《江戸両国橋夕涼大花火図》文化~天保頃(1804~43)東京都江戸東京博物館蔵 / 歌川国貞(3代豊国)《東都名所四季之内 両国夜陰光景》嘉永6年(1853)東京都江戸東京博物館蔵
エピローグは「江戸東京の隅田川─江戸から東京へ」。時代が明治に変わると、絵画の表現から人々の暮らしまで、さまざまな面で変革が進んでいきました。
伝統的な浮世絵版画などは徐々に消え、大正時代には創作版画や新版画が登場。関東大震災後には復興橋が次々と架けられ、隅田川の景観そのものも大きく変化していきました。
(左から)歌川国政(5代)《新規造掛永代橋往来繁華佃海沖遠望之図》明治8年(1875)東京都江戸東京博物館蔵 / 小林幾英《東京名所吾妻橋向嶌真景》明治21年(1888)東京都江戸東京博物館蔵
平成から令和になっても、都民に愛されている隅田川。桜の名所、隅田公園は初春がおすすめ。隅田川花火大会は7月最後の土曜日に開催されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年7月6日 ]